技巧派左腕だった高校時代から別人。プロを目指し、3年間で147キロ左腕へ成長した西濃運輸・林の信念
近江(滋賀)時代にエースとして甲子園に3度出場し、侍ジャパンU-18代表にも選ばれた実績を持つ林 優樹投手(3年)。高校卒業後は社会人の西濃運輸に進み、今年でドラフト解禁の3年目を迎えている。
その間に体つきは大きく変わり、高校時代は130キロ台だった直球の最速も147キロをマークするようになった。
3年間で大きく成長した林は、今年のドラフト会議での指名が有力視されている。前回に取材した昨年3月から現在に至るまでの歩みを語ってもらった。
2年目に140キロ台に到達もケガもあり、投げられない時期も…

西濃運輸・林優樹
岐阜県大垣市にある西濃運輸野球場で練習している林の下半身は、1年半前に会った時よりも大きくなっている印象を受けた。高校時代の体重は63キロで、昨年3月の時点で70キロだった。さらにそこから一回り大きくなり、現在の体重は75キロだという。
社会人1年目は左肘の故障もあり、体づくりに専念。2年目から実戦登板を果たすようになると、140キロを超える速球を投げるようになって、再び脚光を浴びた。進化する姿を見せた一方で、社会人野球のレベルの高さも痛感した2年目だったと振り返る。
「色んな壁に当たることが多かった2年目でした。高校野球とは一つ、二つとレベルが上がった中で苦戦もしましたし、その中で自分で考えながら野球ができたというのは本当に良かったのではないかなと思います」
昨年の都市対抗野球大会東海地区2次予選の第4代表決定戦ではリリーフで勝利投手になり、3年ぶりとなるチームの本大会出場に貢献。しかし、左肘を痛めて都市対抗野球大会で投げることはできなかった。
都市対抗野球大会出場を決めた試合から実戦のマウンドからは半年以上遠ざかった。「野球ができない日が続いて、野球ができないってこんなに苦しいんだと初めて思いましたし、しんどかったかなと思います」と苦しい日々が続いた。
それでも心が折れることなく、努力を続けることができたのはプロ入りへの強い思いがあったからだ。高校時代にはプロ志望届を提出するも指名漏れ。入社当初に使用していたグラブにはドラフト解禁の年数を示す「3年後」という言葉を刺繍していた。
「3年後にプロに行くという一つの目標を立てましたし、プロに入って活躍するという目標は常に持ってやってこられたかなと思います」と胸を張る。彼の入社当時は投手コーチで昨年12月から指揮を執っている佐伯尚治監督も、林の取り組む姿勢を高く評価している。
「入ってくる前から強い意志を持ってここに来てくれたと思いますし、それを持って3年間取り組んでくれたと思います。上手くいかない時は気持ちが折れそうになる時期もあったと思いますけど、その時も『目標は何だ?』という話は何度かしたことはありますし、そこでしっかり彼は折れずに努力をしてくれたおかげでこの状況があるのかなと思います」
故障を乗り越えて5月のベーブルース杯で実戦復帰。今年は都市対抗野球大会で東京ドームのマウンドに立つことができた。初戦で優勝したENEOSに敗れ、林自身はリリーフで2回1失点という結果に終わったが、貴重な経験になったと振り返る。
「甲子園と違った独特の雰囲気があって、緊張した中でマウンドに上がりましたが、自分が積み重ねてきたことをしっかり出せたかなと思います。社会人の中でもトップクラスのチームと対戦させてもらって、色んな刺激をもらいましたし、すごく良いチームだなと思いました」
ENEOSからは1球に対する執念の強さを感じたという。アマチュア野球最高峰の舞台で短い出番ながらも確かな存在感を示した。
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西濃運輸・林優樹
社会人に入ってからの球速アップに注目が集まるが、「コントロール良く、バッターを見て投げられるのが彼の良さ」と佐伯監督が言うように本来は技巧派投手である。今年の春先は制球に苦しんでいる印象を受けたが、「都市対抗以降の彼のピッチングを見ていると、少しずつ戻りつつあるのではないかなと見ていて思います」(佐伯監督)とドラフトを前に本来の投球を取り戻した。
3年間の集大成となったのが9月に行われた日本選手権東海最終予選の日本製鉄東海REX戦だ。負ければ敗退が決まるこの試合で林は先発を任され、6回1失点の好投。チームの勝利に貢献し、自らの評価を上げることに成功した。
「3年目にしてようやく自分らしいピッチングができるようになってきました。あの試合は3年間やってきたことが全部出たかなと思います」と振り返った。紆余曲折を経ながらもプロ入りという夢には確実に近づくことはできていた。
ドラフト会議が目前に迫り、「不安の方が大きくて、1日が長く感じます」と本音を漏らすが、それは指名される可能性が高校時代以上に高いことの裏返しでもあると言えるだろう。林のもとには11球団から調査書が届いたそうだ。
「3年間プロ野球で活躍するために頑張ってきましたし、野球を始めた頃からの夢でもあったので、その夢は捨てきれなかったですし、願うことしかできないですけど、信じて待ちたいなと思います」と運命の日を待ち構えている。
高校時代からスケールアップしたとはいえ、174センチ、75キロと野球選手としては決して大きくはない。近年は林の投球フォームを真似る高校生投手も増えており、小柄な高校球児の希望になっている。こうした選手に向けて林は次のようにメッセージを送ってくれた。
「野球は体が大きな選手が注目を浴びがちですけど、僕は野球を始めた頃から体が小さくて、大きな選手には負けたくなくて、勝つためにはどうしたら良いか常に考えて野球をやってきました。体が小さいから球速が出ないとか、体が小さいから良いバッターを抑えられないとか、絶対にないと思います。常に考えながら練習もそうですし、マウンドの上に立っていれば大丈夫だと思います」
小さな体で強敵に立ち向かってきた林だからこそいえる言葉だろう。社会人に入ってからは食事やトレーニングを貪欲に勉強して第一線で戦えるだけの体を作りあげた。「まだプロになるイメージができない」というが、プロ野球選手になるという現実はすぐそこまで来ている。
「1日でも長く、1年でも長くプロ野球選手でいたいです。自分はプロ野球選手に夢をもらったので、夢を与えられるような選手になりたいと思います」と今後の目標を語ってくれた林。10月20日はこれまでの努力が報われる日となるだろうか。
(取材=馬場 遼)