昨年2位に躍進した日本ハム。優勝へのキーマンとして期待されるのが万波 中正外野手(横浜)ではないでしょうか。
23年に25本塁打を放つなど、昨年まで3年連続で二桁本塁打を記録しています。10日の楽天戦では逆転満塁本塁打を放ち、勝利に貢献しました。
ここまでNPB通算71本塁打を記録しており、00年世代ダントツトップの数字を残しています。そんな万波選手ですが横浜高時代からスケールが大きい選手と評価される一方で、ミート力に大きな課題を抱えていました。
1年春からスタメン起用も3年春は極度の不振でベンチ外に
万波選手は東練馬シニア時代から投打ともに“怪物級”と評され、中学3年時には民放のスポーツ番組の特集で取り上げられているほどでした。筆者はこの特集で横浜進学を知り、現場で見られるのを楽しみにしていました。
万波選手は1年春からベンチ入り。横浜は春季県大会で期待の1年生がベンチ入りするのが通例ですが、今までの中でも一番スケールのあった選手だったと思います。ただし、打撃はかなり荒削りで、空振り三振も多い選手でした。
万波選手は常にニコニコしてプレーしていたためか、中年の横浜ファンから慕われており、打席に立つたびに大きな拍手が送られていたのを思い出します。
1年秋には公式戦でも本塁打を放ち傍ら、投手としてもマウンドに立ち、140キロ台の速球を投げ込んでいました。1年秋の練習試合後に万波選手に話を聞いたことがありますが、打撃についてどうしていきたいのか、理路整然と語っていたことを思い出します。考えながら野球をしている選手というのが分かりました。
しかし、浮き沈みの激しい成績が続きました。当たれば目の覚めるような本塁打を打ちますが、空振り三振も減ることはありませんでした。
特に深刻だったのは3年春。関東大会では一次登録で外れて、大会前に登録されました。明秀日立戦では代打で出場しますが、空振り三振。ボールと振った位置とは極端に離れており、ボールが見えていない状態でした。3年春のままだと高卒プロは厳しい状態でした。