3年夏に覚醒し、そのままプロでも活躍

 高卒プロ入りに向けて最後のチャンスとなった3年夏。万波選手は覚醒と呼べるほどの活躍を見せます。神奈川大会の一次登録ではベンチを外れていましたが、大会前に登録変更で滑り込みのベンチ入りを果たします。

 すると、大会初戦から強打を発揮。準々決勝の立花学園戦では横浜スタジアムの電光掲示板直前にする特大本塁打を放ち、決勝戦の鎌倉学園戦でも左中間へ特大2ラン。優勝に大きく貢献します。夏の神奈川大会の成績は24打数13安打、打率.542、2本塁打、12打点でした。

 夏の神奈川大会での万波選手はボールとの距離感も良くなり、的確にボールを捉えるようになっていました。甲子園では3回戦敗退に終わりましたが、神奈川大会の活躍が評価され、18年のドラフトでは日本ハムから4位指名を受けました。

 万波選手はプロ1年目からファームで90試合に出場し、打率.238、14本塁打、長打率.426を記録します。高卒1年目の野手は例外なくファームで苦しみ、打率2割5分前後であれば、及第点だといわれます。万波選手はある程度の打率を残しながら、チーム本塁王に輝く成績を残しました。

 万波選手は3年春の絶不調を乗り越え、そのままプロでも類まれな長打力を発揮したのでした。彼の順応力の高さに驚かされました。

プロ3年目の21年に一軍昇格し、49試合で打率.198と苦しみながら、5本塁打を放ち、長打力を一軍でも発揮しました。22年はプロ初の100試合に出場して、14本塁打と初の二桁本塁打に到達し、日本ハムの主力選手へ成長。25本塁打を記録した23年は初のベストナイン、23年から2年連続でゴールデングラブ賞を受賞します。昨年オフには1億6500万円で契約更改し、00年世代野手では初の1億円プレーヤー到達となりました。

 ここまでの6年間は万波選手らしいスケールの大きな活躍を見せていますが、高校時代を振り返ると、ここまでの成績は到底、想像できませんでした。

 プロで活躍する高卒野手の共通点を上げると、飛ばす能力、コンタクト力のどちらも兼ね備えた選手です。飛ばす能力がなくても、コンタクト力が高ければ、ある程度、プロでやれている選手はいます。逆にコンタクト力に課題がある選手は、プロでも結果を残せない可能性が高くなります。

 万波選手のような三振が多いスラッガーがここまで変貌を遂げた例はあまりありません。“常識”を破るブレイクができたのは、万波選手の向上心の高さがあったからではないでしょうか。

 00年世代最速の100本塁打到達はすぐそこ。これからもド派手な活躍でエスコンフィールドを盛り上げてほしいと思います。