昨春の大阪府大会優勝。さらにドラフトで今坂 幸暉内野手のオリックスからの指名など、大阪学院大高は2024年の大阪の高校野球の中心にいた。

大会連覇の期待がかかった今回の春季大会は、5回戦で履正社の前に敗戦。優勝には手が届かなかったが、この春から加わった大きな戦力が1つ話題になった。智弁和歌山から転入してきた長瀨 大来である。

高校最初の1年は智弁和歌山で過ごしていたが、2年生の春から大阪学院大高へ転入。転校生のため、日本高等学校野球連盟の規定で公式戦出場が出来ない1年間を経て、ようやくこの春から解禁となった。

名門で学んだ人間性、頭が真っ白になった空白の数か月

久々の公式戦を戦った長瀨は課題を見つけながらも、その表情はどこか嬉しさを感じているようにも見えた。

「自分を含めて主力が全然ダメだったと思います。特に自分はバッティングで課題にしているコンタクト率の悪さが出たので、そこを練習で意識すること。ピッチングに関しては投げることが出来なかったですが、制球力を高めるためにフォームの再現性を高めたいと思います。
ただ1年間公式戦に出られなかったので、この春に久々に出場して多くのお客さんがいる球場でプレーできる環境にワクワクした気持ちと『やってやるぞ』と気持ちの高ぶりを感じることが出来ました」

公式戦ならではの高揚感を再び噛みしめた長瀨は、高校野球人生を強豪・智弁和歌山で始めた。1年生の秋には背番号をもらってベンチ入りするなど、高校野球界の名門で濃密な1年間を過ごした。

「1年間で人間性の部分はすごく沢山のことを学べたと思っています。プレーをできているのは自分だけではなく、コーチやスタッフの方々の支えがあって出来ることに気づかせてもらいました。なので目上の方への言葉遣いはもちろんですし、周りを見て気配りをすることなどは、いまもとても大切にしています」

キャッチボールする長瀬

 そんな智弁和歌山から長瀨は2年生の春に大阪学院大高に転入した。決まるまで数か月間の期間があったというが、この期間は長瀨にとって苦しい時間だった。

「一旦、野球から離れてプレーできない期間は『もう野球はできないのかな』って正直本当に思いました。本当に苦しいと言いますか、これまでは当たり前に出来た野球が、目の前からなくなって頭が真っ白になりました」

野球のみならず、今後の進路も「どうなるか全くわからなかった」とこれからの行く先が見えない。悩み、困っていたところに、両親をはじめとした多くの方々に支えられて、長瀨は大阪学院大高への転入が実現した。

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