昨今、高校球児の進路選択として注目されているのが「海外志向」だ。高校通算140発を放ち、プロ球団から熱視線を送られたスラッガー・佐々木 麟太郎内野手(花巻東)がスタンフォード大に進学すると、そこに追随するように二刀流として注目された森井 翔太郎選手(桐朋)がアスレチックスとマイナー契約を結び、大きな話題を呼んだ。

 そんな彼らよりも先に海をわたり、活躍しているのがハワイ大の武元 一輝だ。強豪・智弁和歌山で二刀流として活躍し、夏の甲子園に2度出場を果たした実力者。ハワイ大進学後も投打にその実力を発揮し、存在感を示している。アメリカのドラフトでは大学生が3年目で解禁となるため、今シーズンは武元にとって転機の年となる。人生を左右する一年を迎えた21歳は今何を思うのか。心境に迫った。

異例の選択にあった恩師のススメ

 学生時代は名門・智弁和歌山で1年夏からベンチ入りを果たし、夏の甲子園も2度経験した。そんな3年間の成長過程で欠かせない人物がいる。指揮官の中谷仁監督だ。

「中谷監督からは野球の面だけでなく、人としての考え方を教わりました。一つひとつ状況に応じて的確な言葉をくれるので、自分を振り返ることが出来ました。どうやったら人として良くなるのかヒントを与えてくれて、引き出しをたくさん持っている監督さんでした」

 指導は野球の技術面以外にも大きな影響を与えた。特に精神面で武元の成長を促したという。

「私生活の面の方が多くのことを教わりました。野球はメンタルのスポーツだと感じていて、考え方によってパフォーマンスが変わりますし、圧倒的な技術があっても精神的に甘ければ力は発揮できないと思います。その面は中谷監督に今もコンタクトをとって色々な言葉を貰っていますし、とても信頼していて大好きな監督です」

 人生を変える恩師との出会いをきっかけに技術も精神も磨きをかけた。投打で活躍していた武元は3年間で最速151キロ、本塁打も高校通算20本まで積み重ね、次第にプロ注目の存在として扱われるようになった。しかし、3年時夏の甲子園は初戦で敗退。進路選択も迫る中で選択したのが海外への大学進学だった。プロ注目の高校生としては異例の選択となったが、後押ししたのも中谷監督だった。

「監督の助言も大きかったです。今プロに行けるかもしれないけど、『求めているのはそこではない』と言われて、プロで活躍するためにはレベルアップしなければいけないと思いました。周囲の人がしていないアメリカ進学を勧めてくれたことは大きな分岐点になりました」

 当時、高校卒業してアメリカの大学に進学し、最高峰のレベルのNCAA DivisionⅠ(ディビジョン1)でプレーしたのは初めてのことだった。前例のない挑戦にも「人とは違うことにチャレンジしたい。メジャーにいってうまくなりたいという気持があったので、不安というよりも楽しみな気持ちが強かったです」と決意を固めて海を渡った。

意識の高さは熱心な家族の支え△高校時代の武元

 もう一つ大きな存在となったのが武元を支えてきた両親だ。高校時代から野球に対する知識の豊富さや意欲の高さが見られていたが、そのルーツがラグビーをしていた父とのトレーニングにあった

「父親とは小・中学生の頃にトレーニングとキャッチボールをよくしていました。バランスボールの上でのスクワットを300回やったり、決められた回数同じ場所に投げられないと家に帰れなかったりしていました。

 体作りの面でも父が母にお願いをしてメニューを作ってもらったり、母もアスリートフードマイスターの資格を取って栄養面でのトレーニングもらったりしていました。父親は野球の知識はなかったですけど、凄く研究してくれて、大変だった練習も今では凄く役に立っていると感じています」

 インタビュー中、「人と違うことをしたい」としきりに口にしていた武元。小さな頃は消極的だったというが中学生から本格的にクラブチームに入り、「自分を持たないといけない」と高い意識でプレーに臨むようになった。父親は「もっともっと攻めていけ」「人と同じことをしていたら人と同じで終わってしまう」。様々な言葉をかけ、息子を支えていたという。

2つのトレーニングで精神面も成長

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