170センチ73キロ。決して体は大きくはないが、グラウンドに出れば誰よりも輝きを放つ。東海大・大塚 瑠晏内野手(4年=東海大相模)の華麗な守備は見る物を引き付ける魅力がある。
東海大相模時代にはセンバツ優勝を経験。東海大に進学後は下級生からレギュラーを張り、昨年12月の大学日本代表候補合宿にもされた。世代屈指の遊撃手として実力を誇る大塚はプロ志望を掲げ、最終学年でアピールを続けている。
可憐な守備にある「一歩目の重要性」
大塚の最大の売りは「一番自信を持っています」と話す守備。細やかなステップに50m6.0秒のスピードを活かした軽快な動きを見せ、難しい打球にもアウトに取ってきた。ボールの捕球から握り替え、その後の送球まで流れるような動きを見せる。小さなころから得意だったという大塚は、守備の秘訣をこう語っている。
「とにかく一歩目を大事にしています。スピードが売りなので守備の形もそうですが、アウトにすることが第一と考えているので、その幅を広げたいと思っています」
小さなころから父に指摘され体に染みついた一歩目の重要性。プロでも投手のインパクトの瞬間にその場で少しジャンプする「スプリットステップ』で素早い動作に繋げる選手も多いが、そのステップにも自分自身のこだわりを持つ。
「インパクトの瞬間で少し飛ぶ合わせ方がありますが、自分は飛びすぎないことを意識しています。ガチガチではなく、リラックスした状態で守備をすることを意識しています。上に飛びすぎるとタイミングが合わないので、脚をジャンプさせています」
守備への探求心はグローブにまで及ぶ。「握り替えを意識したときは浅めで取りますが、自分は深いところで普段は取るので固めが好きです。球際とかも負けちゃう感覚があるので固めにしています」と細部まで追求し、世代屈指と呼ばれるまでに成長した。
全国制覇経験も「悔しかった」
大塚は高校時代から持ち前の守備で注目を集めていた。「2015年に東海大相模が優勝した時に、タテジマを見て入りたいと思いました」と憧れのユニフォーム身にまとい、全国屈指の名門で下級生から研鑽を積んできた。最終学年では主将を務めると、3年時春には石田 隼都投手(現・巨人)らと共にセンバツ出場を果たし、全国の頂点に立った。しかし、大塚は3回戦以降に急性胃腸炎を患いチームを離脱。「優勝したのでチーム的には最高の形でしたが悔しい気持ちもありました。キャプテンをやっていて申し訳ない気持ちでした」と悔しさを残しながら、聖地を後にした。
迎えた最後の夏、春夏甲子園連覇を目指した神奈川大会では、準々決勝を前に部員が新型コロナに感染し、出場を辞退することとなった。
「最後に試合した後に、体調不良の選手がいると言われ、その選手がコロナと知らされました。これで終わりというか、悔しい気持ちというか。何も考えられなかったですし『こんな終わり方か」という雰囲気でした」
終わってみれば悔しい思いの方が強かった。
「チーム自体は最後もずっと勝っていて、夏もコロナでやりきれない気持ちもありますし、悔しい気持ちが多かったかなと思います」
高校卒業後は「夏の結果で進路を決めようと思っていた」中、アピール不足に終わったこともあり、東海大学への進学を決意した。