夏4強近江 主将就任の山田陽翔が味わった天国と地獄【前編】
今夏の甲子園では2年生ながら投打の柱として活躍し、近江の20年ぶり4強入りに大きく貢献した山田 陽翔。新チームでは主将となり、2季連続の甲子園を目指している。投打に素質の高さを発揮してきた土台は、いかにして出来上がったか。
天国から地獄

山田 陽翔(近江)
ボーイズ日本代表に選ばれるなど、大津瀬田ボーイズ時代から世代屈指の逸材として注目されていた山田。「地元の高校で全国制覇したい」と近江への進学を決めたが、入学直前に新型コロナウイルスが蔓延し、練習に合流できたのは6月だった。その中でも数少ない練習試合で結果を残し、夏の独自大会でメンバー入りを実力で勝ち取った。
デビュー戦のインパクトも強烈だった。光泉カトリックとの初戦は6回まで0対0の投手戦だったが、エースが足を攣って降板。代わりに7回表から山田がマウンドに上がり、無失点に抑えると、その裏に放った先制適時二塁打が決勝点となり、1対0で勝利。投打に1年生離れしたパフォーマンスを発揮した。
その後の試合でも主にリリーフ投手として活躍し、チームの優勝に貢献。「メンバーに入ったからにはチームが勝つために任されたところをしっかり抑えるということを考えていたので、結果的に優勝できたことはすごく嬉しく思います」と先輩たちと喜びを噛みしめた。
昨秋からはエースとなり、下級生ながらチームの勝敗を左右する存在になっていた。しかし、近畿大会1回戦の神戸国際大附戦ではリリーフ登板するも4暴投と制球を乱して逆転負けを喫した。この時に投げ合っていた阪上 翔也とマウンドの歩幅が合わず、対処に苦戦したことが力を発揮できない要因になっていた。
「阪上投手がとても大きくて、歩幅が合わないところがあったんですけど、それは自分の修正力不足。僕のふがいないピッチングのせいで負けてしまったので、何としても夏は甲子園に行こうという気持ちが強かったです」
夏に雪辱を果たすべく、冬場は学校近くの山で走り込むなどして下半身を鍛えてきた。春先になると、「指のかかりが秋よりは強くなったと感じました」と確かな成長を感じられるようになっていた。
しかし、春の滋賀大会では3回戦で立命館守山に敗戦。この試合でも山田がリリーフに失敗して、逆転負けを許してしまった。
雪辱へ成長を実感できた

山田 陽翔(近江)
夏の大会をノーシードで戦うことが決まり、「このままのチームで夏は勝てるのか」と不安に包まれた。そんな中、投手陣でコミュニケーションをとり、「野球は投手。僕たちがもっとしっかりしよう」と一丸になった。山田自身も変化球の精度に磨きをかけ、春以上の状態で夏の大会に挑んだ。滋賀大会では苦戦する試合もありながらも着実に勝ち進んでいく。大会が進んでいくごとにチームが成長していることを山田は感じていた。
「甲子園もそうですけど、県大会でも試合を重ねるごとに、チームがどんどん力を付けているのは肌で感じていました。チームの調子が良いんだなということは思っていたので、どこかあのチームは不思議なものを感じました」
自分でも成長を実感し、夏本番へと向かっていった。
(取材:馬場 遼)