18年の大阪桐蔭春夏連覇の2番打者・青地斗舞はリーグ新記録の首位打者へ成長。そして主将に就任
18年甲子園で春夏連覇を果たした大阪桐蔭の当時の主力選手たちは、プロ、大学に舞台を移して活躍を見せている。関西学生野球連盟・同志社大に進んだ青地斗舞外野手(3年)も苦しい時期を乗り越え、リーグ屈指の巧打者へ成長してきた。大学での取り組みを振り返っていきたい。
2年の反省を活かし、オフシーズンはがっつりトレーニングを

練習中の青地斗舞(大阪桐蔭-同志社大)
1年春からスタメン出場し、さらに活躍を見せるなど、さすが「春夏連覇メンバー」と思わせたが、2年秋は8試合で打率.200に終わり、悔しい結果に終わった。
「思ったことがうまくいかない。自分の実力不足を実感する1年となりました。やりたい気持ちはあるんですけど、体と実力がついてこない。
うまくなりたいと思ってきたのですが、うまくいかないまま2年間が終わってしまいました」
2年間、関西学生リーグでプレーし、投手のレベルの高さを痛感していた。
「2年生まででいえば、立命館大の有村大誠さん(Honda)など力のある投手が多くて自分の技量では打てないのが現実でした」
結果を残せなかったのには要因がある。1年秋に膝の半月板を損傷したことで、股関節がゆるくなっていたこともあり、スライディングする際に痛めていた。思い切ってプレーするためのオフシーズンに手術。2月に復帰したとはいえ、全体的なトレーニングをしっかりできず、肉体的な上積みができなかった。
心技体のうち体力が追いつかなければ、パフォーマンスを発揮できなかったのはある意味当然といえるだろう。それは青地自身も実感していた。
「もともと、自分は他の選手に比べて体に力がないタイプ。トレーニングを必死に行って、準備をするのですが、2年生のときは野球選手として大事な下半身が出来上がっていなかったというのが、懸念材料にありました」
そうした反省を踏まえ、2年冬は下半身のジャンプ系を中心に体作りを行ってきた。3月当時、打撃練習ではコンタクト力の高さを発揮し、外野守備でも落下点に早く到達し、鋭い送球を見せ、攻守でレベルの高さを発揮できるようになった。
21年度から大阪桐蔭、同志社大のOBだった川端晃希さんがコーチに就任。社会人(JFE東日本、エイジェック)、独立リーグ(徳島インディゴソックス)も経験し、大阪桐蔭OBでも濃密な経験をしている川端さんから野球技術についてあらゆることを学び、レベルアップに努めてきた。
青地スマイルの理由は

青地斗舞(大阪桐蔭-同志社大)
シーズンへ向けての意気込みをこう口にしていた。
「ここまで続けてリーグ5位と、悔しい結果に終わっています。個人として頑張るのはもちろんですが、泥臭く、スター選手がいないので、泥臭くできるかにかかっているので、しっかりとチームの勝利に貢献できればと考えています」
20年12月から名門・日本生命を率いていた花野巧監督が就任してから、練習はハードなものとなり、選手の取り組み方も妥協を許さない。メンバー構成もフラットとなり、青地も絶対的なレギュラーという立場ではなく、春のリーグ戦では5試合出場で安打0本に終わった。
しかし秋季リーグまで必死にアピール。レギュラーを取り返した青地は主に3番ライトで出場。25打数13安打、打率.520、2打点、2盗塁の活躍で、首位打者を獲得。打率.520は現在の関西学生リーグの枠組みになってから新記録であり、リーグの歴史に残る記録を残した。
そして青地は主将に就任した。秋の実績を見ても妥当だろう。ハードな練習でありながらも、高校時代から光っていた「青地スマイル」で、選手たちも笑顔で溢れていた。
高校時代からのチームメイト・道端晃大は「あの笑顔がありますので、『愛されキャラ』ですよ」と語る。青地も「注目してもらえるのは恥ずかしいことではありますが、しんどい練習をしんどい顔をするのではなく、気持ちがしんどくなってしまうので、そういう時こそ声を出して、明るくできたらいいなと思います」とスマイルで答えてくれた。
ラストシーズンでは、攻守ともに充実した内容を見せ、優勝争いに絡む活躍を見せることができるか注目していきたい。
(記事:河嶋 宗一)