【大学準硬式】決勝 大阪経済大 vs 日本大
【準硬式】「先輩たちに申し訳なかった」、1年前にラストバッターで泣き崩れた橋本が悔しさを糧に大阪経済大の優勝に貢献
<第75回全日本大学準硬式野球選手権記念大会:大阪経済大6ー3日本大>◇28日◇決勝◇くら寿司スタジアム堺
大学準硬式の日本一を決める決勝戦は、大阪経済大が6対3で勝利。22年大会に続く日本大とのリベンジマッチを制して、2年ぶりの頂点に立った。
試合が動いたのは2回、2死から6番・橋本 大志内野手(4年=三田松聖)のヒットでチャンスを作ると、7番・喜多 尚希内野手(4年=東海大大阪仰星)の適時打で先制。1対1で迎えた3回には、1死満塁から、6番・橋本の左前適時打で2対1と勝ち越し。この一打で一気に流れを作った大阪経済大が3回に一挙3得点。前半の主導権を握って前半を折り返した。
グラウンド整備開けの6回、先発・領家 琉莉投手(2年=河南)がピンチを招いて2点を返されたが、3番手・沢田 健登投手(4年=西城陽)が同点を許さずに、リードを保ったまま終盤へ。すると、8回には2番・成清 圭外野手(4年=市立尼崎)のダメ押しの適時打で勝負あり。6対3で日本大を下して、優勝を果たした。
「リーグ戦の近畿大戦で自らのエラーで逆転負けをしたので、気を引き締めました。ノーエラーで終われてよかったです」
9回1死、二塁手の橋本は自らの前に飛んできた正面のゴロを丁寧に捌いた。2年生から主力選手として活躍して、日本一を経験している橋本。経験者としてチームを牽引してきたが、この1年は悔しさを胸に野球に向き合った。
22年の決勝戦、9番・二塁手でスタメン出場するが、2回に自らのエラーで得点を献上。自信を持っていた守備でミスをすると、バッティングでは無安打。最後のバッターとなり、一塁を駆け抜けた後、グラウンドで泣き崩れた。
「先輩たちに申し訳なかった」
悔しさを糧に、最後の1年間は攻守に磨きをかけた。自信のあった守備では、遊撃手でもノックを受けて1歩目を素早く出せるように数をこなした。グラブも通常よりも小さい練習用を使って、守備力を磨いた。試合になればバッテリーのサインや相手打者の癖を観察して、ポジショニングを変更。チームメートと連携を取りながら、「まず1つ、できるだけ先の塁でアウトを取る」と攻める守備を貫いた。
打撃は自宅で素振りや羽打ちなどの自主練習を積極的にやってきた。ときには家族の力も借りながら、バッティングを磨いてきた。
準決勝までの4試合で4安打と結果は出ていなかったが、決勝は「楽しむことを大事にした」プレーで3安打の猛打賞をマーク。武器だった守備も「上手いね」と周りから評価されるように、大会ノーエラーで完走した。試合だけではなく、個人的にもリベンジを果たした。だからこそ、「家族に恩返しができたと思います」と満面の笑みで感謝の言葉を語っていた。
全国の舞台を求めて大学準硬式の世界に進んできた橋本は4年間で3度の全国出場、2度の日本一を手にした。その有終の美の裏には、たゆまぬ努力があった。
【準硬式】「あまり寝れていなかった」連覇を狙った日本大の中島主将を救った1つのメッセージ
<第75回全日本大学準硬式野球選手権記念大会:大阪経済大6ー3日本大>◇28日◇決勝◇くら寿司スタジアム堺
大会連覇を目指した日本大は、3回に失点をしたが直後に追いつくなど、序盤は食らいついた。しかし、4回に一挙3失点を喫すると、最後まで追いつくことができず、大会連覇を逃した。
9回2死、打席に向かったのは主将・中島 健輔外野手(4年=日大鶴ヶ丘)。打席では時折笑みをこぼしながら、フルスイングを見せた。ただ残念ながら、打球は左飛に終わり、ゲームセット。3対6でチームは敗れることになった。
「この1年、日本一を目指してやってきましたので、悔しいです。ただ2年連続で決勝に進めたのは誇りですし、ついてきてくれたチームメートに感謝しかありません」
22年の大会も主力で活躍し、歓喜の輪にいた。先輩たちと喜びをかみしめていたが、その後の1年間は「苦しかったです」と苦悩の日々だった。
日本一を知るメンバーが多数残っていたものの、秋季リーグではなかなか勝てない。「4年生が中心になって引っ張ろう」と仲間たちと誓い合ったが、牽引することができない。常にチームのことを考えていても、思うようにチームがまとまらず、「あまり気持ちよく寝れていなかったと思います」と振り返る。
苦悩の中島主将を救ったのは、先輩の一言だった。
秋季リーグ戦も落ち着いた11月、甲子園大会やオーストラリア遠征が開催され、中島主将は両方に選出された。しかも甲子園大会に限っては東日本選抜の主将にも抜擢された。その遠征の時、同じく選出され、当時は大阪経済大にいた大手 美来主将(八戸学院光星出身)にアドバイスをもらった。
「同じように主将をされていたので、悩みを聞いてもらいました。そのときに、『主将が一番曲がっちゃいけない』と言われたのは覚えています」
思いを貫き通す、諦めずに頑張らなければいけない。その意思を固めて中島主将はオフシーズンに入ると、日本一のためにチームメートへ妥協せずに叱咤激励をし続けた。チームメートも、秋の悔しさを胸に、より真剣になって練習をこなした。
すると、シーズンが明けて、早々に結果が出た。3月の関東大会では準優勝。春季リーグでは2位で予選会に出場。予選会でもしっかり勝利を重ねて、全国大会の切符をもぎ取った。「秋に比べると、少し肩の荷が下りて戦うことができました」と中島主将も語った。
集大成の全国大会は、「1年間色んな試合を経験したので、引き出しが増えたと思います」と苦しかった1年間を生かして、強敵たちを倒して決勝まで勝ち上がった。あと1勝届かなかったが、「ほんの少しだけ力が及ばなかったと思います。誇れる準優勝です」と総括しつつ、「後輩たちには優勝してもらって、借りを返してほしいです」とエールを送った。
秋季リーグには出場予定だが、社会人では野球を離れる。「主将をやらせてもらって、人として成長できたと思います」と最後は清々しい表情だった中島主将。この1年間の経験を、社会人生活に生かす。