2年秋まで捕手、投手歴1年未満で最速151キロ、世代屈指の右腕へ成長させた奇跡のめぐり合わせ、早坂響投手(幕張総合)
今年の春に、ドラフト候補として一気に急浮上した投手がいる。
幕張総合(千葉)の早坂 響投手(3年)は、最速151キロの速球を武器に、春季大会や、練習試合で好投し、評価を高めた。この夏の大会でも、3試合連続完投勝利を果たし、ベスト16入りを果たした。
早坂の成長の軌跡は、まさに奇跡だといえる。
いとこの影響で小学校2年生から野球を始め、高塚新田ラークス時代は遊撃手だった。松戸第五中では、捕手だった。今では多数のNPB球団から注目されているが、当時は強豪校からの誘いもなかった。
施設や環境の良さに惹かれて幕張総合へ入学を決める。二塁送球1.9秒台を誇る強肩捕手として、2年秋までは捕手としてベンチ入りをしていた。
柳田監督から肩の強さを見込まれ、投手へ転向した。転向してからすぐに141キロを出していたが、投手経験が浅く、コントロールもままならなかった。
早坂は柳田監督の知り合いで、投手指導で有名な北川雄介氏のもとに学びにいく。
「北川さんからは少しでも胸郭、体幹を意識して投げることを言われてから、そっちを意識してやっていて、そうすると、球に勢いがついてきたかなと思います。また投手としての知識はゼロな状態でしたので、そういったところも北川さんからは教わりました」
その後、制球力も身につき、球速もぐんぐん伸びた。投手としての楽しさを感じるようになると、これまで以上に意欲的に取り組み、オフ期間は近所のジムに通い続けた。
冬を越えると、直球の勢いが変わり、140キロ後半を計測。菊池 大智捕手(3年)からは「明らかに勢いが変わっていました」と評されるまでになる。
そして、春季地区予選の千葉商戦では最速148キロで平均球速143.9キロをマークし、一気に注目度が上がった。
ただ、3回戦の木更津総合戦で、140キロ台の直球を狙い撃ちされ、2回を投げ、被安打4、3四死球、3失点と大きな課題が残った。
ほとんどが直球とスライダーという投球構成が原因だった。いくら並外れた速球を持つ早坂でも、速球に慣れてしまえば捉えられてしまう。そこで、フォーク、カーブの習得に取り組んだ。
球種を増やす理由についてこう語る。
「春の時点では、まっすぐとスライダーの2球種しかなかったので、タイミングを外す投球が必要だと思い、フォークを投げたいと思っていて、春の大会が終わってから練習をしています」
その工夫はキャッチボールから行い、変化球を試していた。取材した6月の時点でフォークの精度は高かった。正捕手の菊池は新しい変化球を習得しているエースの現状についてこう語っていた。
「試しながらですけど、だんだんよくなっています。まだまだよくなると思います」
平日の練習では15球〜20球程度しか投げない。
「練習で投げすぎても試合で体が重くなってしまう。試合へ向けて調整するためにやっています。冬は100球程度投げる日もありましたが、練習試合が始まってからはそんなに投げていないです」
この夏、3試合連続で完投勝利していることを考えれば、こうした調整が正しかったとも言える。まだ完成度はこれからだが、リリーフ中心だった春から、今ではしっかりとコンビネーションを使って完投できる投手へ成長している。
この夏、「155キロを投げたい」と口にした。現在はまだ最速150キロだが、いずれはその目標をクリアしてもおかしくないポテンシャルを持った投手だ。
早坂の探究心の高さ、潜在能力の高さが大前提にあるが、早坂の才能を潰さまいと、最初はリリーフ起用としてスタートし、投手としての根本である直球を伸ばし、夏にかけて変化球の習得と、段階を追って育成方針を立てた柳田監督の育成方針も大きい。北川氏の指導はもちろん大きいが、柳田監督の導きがなければ、北川氏との出会いもない。
まるで奇跡のようなめぐり合わせで世代トップクラスの速球投手へ成長した早坂。19日は8強入りをかけて専大松戸と対戦する。意識していた平野 大地投手(3年)との投げ合いが実現する可能性は十分にある。千葉のNo.1投手を争う対決になるかもしれない。