ベールに包まれた剛腕・大勢が抑え抜擢で大躍進
巨人のセットアッパーへ転向した大勢投手もその1人です。大勢投手には西脇工のエースとして13年夏の甲子園に出場した兄・勝基投手がいました。勝基投手はその夏の兵庫大会で力強い投球に目が留まりました。兄が甲子園出場した4年後の2017年の兵庫大会で弟・大勢投手の投球を見ることができて、ワクワクしたのを覚えています。
高校時代の吉村
当時のセンバツベスト4・報徳学園戦に先発した大勢投手は7失点完投負け。手元のスピードガンで最速143キロを計測しました。威力はあるものの、捉えやすいフォーム、そして空振りを奪える球質ではありませんでした。馬力はありますが、投球術などNPBにいくには相当レベルアップしないと厳しいと感じました。
関西国際大に進むと、剛腕へ成長します。最速157キロをマークし、12球団が注目する存在に。当時の大学球界は新型コロナの影響で、自由に入場、取材ができる環境ではなく、その凄さを知る人は限られていました。
関西地区の記者でも、唯一見られたのは21年のドラフト直前に解禁された有観客試合のみだったといいます。巨人から1位指名された大勢投手は多彩な球種を操り、緩急を効果的に使える先発型投手ではなかったため、懐疑的な見方もありました。
ただ絶妙な配置転換により、大勢投手は1年目から大飛躍します。クローザーに抜擢されたプロ1年目から57試合で37セーブを記録し、新人王を獲得。23年にはWBC代表に選出され、24年まではクローザーとして通算80セーブを記録し、今季はライデル・マルティネス投手が加入したことで8回を任され、8試合で6ホールド、防御率1.17を記録。毎試合、155キロ前後の速球を連発するパワーピッチャーとして大きく飛躍を遂げました。
期待されたパワーピッチャーのままプロの世界でも生きることができたのは1年目から上手さよりもパワフルな投球が求められるクローザーが合っていたからだと思います。