最弱世代から教えてもらった、本気で勝利を目指す意義

ではこの思いは、どのように形成されていったのか。その答えは2024年の1年間だったという。

「2024年の世代は、史上最弱といわれていました。
実際に発足してすぐのオープン戦では3試合合計で50失点くらいしてしまう。そういったところからのスタートだったので、『気持ちを込めて練習をしないといけないな』と思いまして、選手たちとも話しました。そのうえでかなりの練習量を積むようにしました」

こうして鍛錬を積む日々を送ったわけだが、思うように結果がすぐ出るわけがなく。田本監督自身も「凄くしんどかった」と苦しい時期だったと振り返る。

「選手たちの前はもちろん、コーチ陣も若いスタッフが頑張ってくれていたので、監督である私が弱みを見せて心配をかけるわけにはいきませんでした。ですので、グラウンドでは気持ちの入った姿を見せ続けていました。
そんなとき、お付き合いのあるボーイズの監督に『どうしたらいいかわからない』と相談をさせてもらいました。そうしたら、私の気持ちを受け止めてくださり、『頑張れよ』と声掛けをしてもらい、少し楽になりました」

その後、そのチームとオープン戦を実施し、江東ライオンズは逆転勝ちをおさめたという。相手はジャイアンツカップにも出場するような実力あるチーム。そんな強敵に勝った一戦を、田本監督は鮮明に覚えていた。

「試合後、うちの選手たちは泣いていました。それくらい魂のこもった試合でした。
向こうはジャイアンツカップに出場するけど、うちは予選にも出場できなかった。それくらい違いましたが、勝つことが出来た。なので、向こうの監督からも『よく頑張った、ここまでよくやったね』と言ってもらえて、私も大泣きしてしまいましたが、この一戦を通じて自信を持つことが出来ました」

さらに、田本監督の指導方針を固める決定的な出来事が、この試合であったという。
「試合後に、向こうの主将があいさつに来た際、清々しい笑顔だったんです。それの表情を見たときに、『これこそ楽しむ野球だろうな』と思いました。
勝つために鍛錬した練習の成果を真剣勝負ですべて出し切って、それでも負けてしまった。だからやりきった、すっきりした表情が出来るわけで、そういったことが出来る選手になれると感じました。なので、自分がブレずに目標をしっかりと決めて、選手たちに伝えないといけないと考えるようになり、その目標として勝利を掲げるようになりました」

上野主将にも、「上辺だけの楽しさではなく、辛いことを乗り越えたから得られる達成感、楽しさがあります」と勝利を求めるなかで野球の楽しさを味わっているようだった。

その後、2024年の世代のチームは最後の大会となる、秋の関東大会で優勝を果たした。「成長するタイミングが例年より遅かっただけでした」と田本監督は少し嬉しそうに振り返ったが、諦めずに最後まで一緒に勝利を目指してきたからこその笑みだろう。

近年の野球界では、どこか勝利至上主義がネガティブに考えられる一面が出てきた。ただ江東ライオンズの取り組み、姿勢を見ていれば、こういったチームもやはり必要だということを感じざるを得ない。それほどの情熱がグラウンドにあった。

50周年という節目の年を迎えた江東ライオンズが、この1年でどんな結果を残すのか。そしてこれからどんな歴史を作っていくのか。これからも名門の行方から目が離せない。