対応力の低さ、パワー不足を痛感 技術、パワーアップに努める

 1年生の春からリーグ戦に出場するも春秋ともに打率1割台と苦戦。大学野球の投手のレベルの高さに驚かされた。

「高校の時は追い込まれても『まだいける』というのはあったんですけど、大学のピッチャー追い込まれたら難しかったです。今年に龍谷大を卒業した左腕投手の茨木篤哉さん(NTT西日本)は天敵でした。スライダーがヤバかったですね」

 技術的な苦戦だけでなく、パワー不足も痛感。捉えたと思った当たりがフェンス直撃に終わることもあった。

 それからは筋力トレーニングに励み、2年春には3本塁打と飛躍。「詰まっていても入らないかなという当たりも入るようになりました」と成長を実感した。この3年間で体重は約20㎏も増えたという。


エドポロ・ケイン

 きっかけを掴んだエドポロは秋も2本塁打を記録。3季連続で1割台だった打率も.243に上げ、着実にステップアップしていた。

 エドポロが3年生になるタイミングで新たに就任したのが中村良二監督。天理の主将として1986年夏の甲子園優勝に導き、その後は近鉄と阪神で計11年間のプロ野球生活を送った。引退後には指導者となり、天理大と天理の監督を歴任。教え子には太田 椋(オリックス)や達 孝太(日本ハム)らがいる。

 中村監督はエドポロを練習熱心な選手という印象を受けたそうだ。

「『練習しなさい』とその時はまだそこまで知らなかったから言っていましたけど、コーチに『よく練習するね』と言ったら、『元々彼は練習前に来て、練習後も人より練習するタイプでした』と言っていたから、元々そういうモチベーションは持っていたんだと思って、そこはすごく安心しました」

プロ入りへの想いは元から持っていた選手。自分の能力を上げるために努力を惜しまないのがエドポロ・ケインという男だ。

野球人生初の主将に就任 チーム一の練習量で牽引

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