村上 宗隆内野手(九州学院)をはじめ清宮 幸太郎内野手(早稲田実)、安田 尚憲内野手(履正社)、中村 奨成捕手(広陵)ら、高卒スラッガーが注目を浴びた2017年のドラフト。世代を代表する選手とともに高卒でプロ入りを果たした選手がいる。創志学園からドラフト4位指名を受けた難波 侑平氏だ。
高校時代から投打で躍動し、同年のドラフトではドラフト1位・清宮らとともに期待を受けプロの道をスタートさせた。それでも、入団後は高い壁に阻まれ、一軍出場はなく5年で現役生活に幕を閉じている。現在はクリーニング会社の社長などを経営する傍ら、軟式野球チーム「NBS」を率いて全国大会にも出場しているという。未だ26歳の若き野心家に現役当時の話を聞いた。
疑惑の判定も3季連続で甲子園に出場
創志学園時代には最速146キロの直球にシャープな打撃で投打に活躍。下級生からレギュラーを張った難波は、2年時秋からエース兼4番を任され、まさにチームの大黒柱だった。さらには「中学の頃はボテっとしていましたが、高校時代の練習で体重を絞ったことで足が速くなりました」と50m走で6秒台だった脚力も5.8秒まで伸ばした。2年時秋に中国大会で4強進出を果たし3季連続での甲子園出場。3年時翌春の岡山大会も制すなど上位進出に貢献し続けた。
そんな難波が話題を呼んだのが、2年時夏の岡山大会決勝だった。
同校は後に巨人に入団する高田 萌生投手(現・ショウワコーポレーション)らを擁し、決勝に進出。玉野光南との頂上決戦は、9回まで0対1とリードを許していた。追いかける展開の中、一死一塁となり当時2年生だった難波が打席へ。1ボール2ストライクからインコースに来た球をはじくと、打球は投手の前へ転がり、玉野光南が併殺に取って、マウンドには歓喜の輪が出来た。しかし、「自分としては体に当たっていたので」と難波は判定に抗議。すると、審判団が協議した結果、自打球と判断されて試合が再開した。
結局、難波はヒットで繋ぎ、チームも逆転で聖地への切符を手にした。
「当時のプレーのことをよく言われますけど、逆にそれで知ってくれている人がいるのでありがたいです。プロ野球選手以外の人にも『あの創志の…』と言われることも多いです」
逆転で掴んだ聖地では初戦の盛岡大付に敗戦も難波は1安打2打点を挙げた。投げてはマウンドにも上がり2年生ながら存在感を示した。
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