不器用な努力家・勝又 温史
勝又選手は高校時代から投手として試行錯誤する期間が多かった選手でした。初めて見たのは2年秋の東京都一次予選で、早稲田実との対戦でした。2年夏までに最速147キロをマークした速球派右腕として注目していましたが、この秋はフォームが固まらず、サイドスローで投げていました。それでも140キロ台の速球を投げ込んでおり、6失点を喫し一次予選敗退となりましたが、これでフォームが固まればどんなボールを投げるのか、ワクワクしながら見ていました。
勝又選手は投手としてだけではなく、この時から野手としても光る才能を発揮していました。3年春の一次予選では登板はありませんでしたが、野手として出場。フルスイングから放たれる打球の速さ、飛距離は非凡なものがあり、スカウトから野手として評価する声もあったといいます。春季都大会終了後に取材する機会がありましたが、キャッチボールからでも恐怖感のあるストレートを投げていたことを思い出します。
高校時代の勝又選手
話を聞いてみるとフォームについて深くこだわっていることが分かりました。軸足の使い方、リリース、加えてワインドアップで投げるべきか、セットポジションで投げたほうが安定するのか、とことん考えてとことん練習する選手でした。この努力家の一面はプロの舞台でも発揮されます
勝又選手の高校時代は最後の夏まで不安定な日々が続きましたが、大会直前で投球の感覚を掴み、最後の夏で一気に飛躍します。
夏の西東京大会決勝戦まで勝ち進み、惜しくも日大三に敗れ、準優勝に終わりましたが、この大会では連日、150キロ台の速球を投げ込み、25回を投げ、25奪三振。三振を奪える投球を見せ、スカウトにアピールします。また高校通算30本塁打の長打力も評価され、18年のドラフトではDeNAから4位指名を受けます。
最初は投手としてスタートした勝又選手ですが、高校時代から課題だった制球難を改善することは出来ず、イップスに陥った時期もあったといいます。3年目のシーズン終了後のフェニックスリーグから外野手として出場し、野手転向を決断します。野手に転向してからは長打力を発揮し、22年から2年連続で二軍で6本塁打を放ちますが、なかなか一軍に昇格できません。
7年目となった今年は二軍で29試合、打率.241、2本塁打、7打点と決して満足いく成績ではありませんでしたが、ベテラン・筒香嘉智外野手(横浜)の入れ替わりで1日に一軍昇格を果たします。そして1日のヤクルト戦でプロ初打席を迎え、ファールとなりましたが、ライトへ大飛球を放ちます。その後、三ゴロに倒れましたが、プロ7年目でプロ初打席を迎えた苦労人にスタンドは大歓声でした。高校時代から取材していた者としては、とても感慨深いものがありました。
勝俣選手と一緒にプレーしてきたベイスターズОBからも祝福する声があり、愛されている選手なのだと実感しました。
勝又選手は不器用ながらも、努力を重ねて着実にレベルアップし、「プロの外野手」として成長を見せました。現在は代打での出場になりますが、内容のある打撃を見せれば、自ずとチャンスは増えると思います。プロ初安打をまず達成し、遅咲きのきっかけとなる1年にしてほしいと思います。
九鬼選手、勝俣選手の高校時代のパフォーマンスは同世代の中でも突き抜けていました。その選手たちでもここまで苦労するのを見ると、NPBという世界はとても厳しい世界だと改めて実感します。そして、それでも腐ることなく一軍の舞台を掴んだことに感動します。
ほかにも二人のように苦労しながら二軍で奮闘している選手たちも多くいます。彼らもぜひチャンスを掴んで一軍の舞台で活躍することを願っています。