仙台育英・島貫丞主将が語るいつも通りが奪われた3.11
2011年3月11日14時46分。東北地方を中心に大きな被害をもたらした東日本大震災。あれからちょうど節目となる10年を向かえる2021年。3月19日から開幕する第93回選抜高等学校野球大会で、宮城県の仙台育英主将・島貫丞主将が選手宣誓を務めることが先日の抽選会で決まった。
選手宣誓では「自分たち高校球児が伝えられること。そして聞いてくださる人に希望を感じてもらえる選手宣誓をしたい」と島貫主将は電話取材を通じてコメントをしたが、10年前の震災当日、島貫主将は地元・福島の小学校にいた。
いつも通り生活が出来ないだけで苦しい
練習に打ち込む島貫丞主将
帰りのあいさつで教室にいたという島貫主将。そのとき、大きな揺れが起き、島貫主将はじめ生徒は全員机の下に入り、揺れが収まるまで待った。揺れが収まると教室を出て全校生徒がグラウンドに集合。人数確認を行い、保護者の迎えが来た生徒から自宅へ帰っていったという。
幸いにも島貫主将の実家は学校から近く、周りの友人に比べると早く親に迎えに来てもらえ、自宅に帰れたそうだ。その時までの島貫主将は何を感じていたのか。
「まだ幼かったこともありますが、『ただの地震だろう』と甘い考えでした。だから『やばい』という危機感が弱くて、あとから大変なことになっているんだと言うことに気づかされました」
今では地震が起きた時には避難を徹底しているそうだが、当時は意識が薄かったという島貫主将。ただ地震の影響で自分の置かれている状況がどれだけ大変だったのか、次第にわかるようになってくる。
家の中のものは震災の影響で散らかり、その整理整頓から始まる。そして水や電気といったライフラインは止まる。水は出ず、夜になれば懐中電灯等を使わなければ光もない状況が続いた。島貫主将は「日に日に気分が悪くなってきて、いつも通り生活が出来ないだけでこんなに苦しんだ」と感じたという。
[page_break:初の日本一で支援してくださった人へ恩返しを]初の日本一で支援してくださった人へ恩返しを
島貫丞主将
小学1年生から始めていたソフトボールも練習も当然できない。放射線もあり外に出て遊ぶことも出来ず、なぜこんな毎日が続くのかと島貫主将は感じるところがあった。
ただ心の支えもあった。海の近くに住んでいた親戚と短い期間だが、一緒に生活することがあったとのことだが、「同級生のいとことは家の中で遊んでいて、『楽しいことやろう』と話をしていて。それで気持ちが楽になった部分があります」と振り返る。また、2年生に進級してから山形へ引っ越しをしていた時期に野球を本格的にできたことは大きかった。
「雪の影響で、外で出来ませんでしたが、野球をやりたいと思っていたので、山形に引っ越しをして真剣に取り組めたのはその後の生活の心の支えになりました」
その後、再び福島に戻り、ソフトボールに打ち込んだ島貫主将は、中学では秀光中へ。「6年生の時に仙台育英が準優勝したことと、秀光中が福島で全国大会の試合をしているのを見て決めました」とのことだが、その後は実績を重ね続け、現在は名門・仙台育英の主将となり、選抜では出場校を代表して選手宣誓をする。
そんな島貫主将にとって、10年前の震災はどんな存在となり、心に刻まれ、そして今後に繋げようと考えているのか。
「この10年で震災だけではなく台風による被害もありました。その度に何ができるのか学び経験することが出来ました。それをこれからは夢である指導者として伝えること。そして仙台育英として節目の10年で東北勢初の日本一を獲ることが一番だと思いますので、日本一に向かって準備が出来ればと思います」
震災を通じて多くの人からサポートしてもらった恩返しもするためにも、日本一を獲ることを語る島貫主将。毎年、震災が起きた14時46分には黙とうをしているとのことで、今年ももちろん行う。ただそれだけではなく、今年は選手宣誓でも10年の節目の想いを込める。
取材時は「大体決まっている」と頼もしいコメントが聞かせてくれた、果たしてどんな選手宣誓をしてくれるのか。3月19日の開幕を心待ちにしたい。
(記事:田中 裕毅)
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