富岡西で描かれる「キセキ」の道
2007年2月に首都圏から居を四国地区に移し13年目。「さすらいの四国探題」の異名を背に四国球界でのホットな話題や、文化的お話、さらに風光明媚な写真なども交え、四国の「今」をお伝えしている寺下友徳氏のコラム「四国発」。
第39回ではセンバツ大会4日目・第3試合で名門・東邦(愛知)と対戦することが決まった21世紀枠・富岡西(徳島)の直前レポートをお届け。様々な縁でつながる「キセキ」の道を追います。
「野球のまち・阿南」にスペシャルな野球人たちが
殖栗 正登トレーナーと共にシャドーピッチングに取り組む富岡西の投手陣
高校野球の様々な場面で書かれる「奇跡」という言葉。私はあまり好きではありません。物事の結果には間違いなく原因があり、原因には過程が必ず存在する。「偶然」だけを強調する二文字で片付けては、次への発展性が生まれない。そう思います。
でも、あえて言いましょう。現時点で世間はきっとこう思っているはずです。「センバツで富岡西が東邦に勝ったら『奇跡』だよな」と。
昨秋四国大会ベスト4とはいえ、21世紀枠・甲子園初出場の富岡西(徳島)。対して今大会で2年連続30回目の出場、うち優勝4回。高校野球界で知らないものはいない名門・東邦(愛知)。ちなみに昨秋チーム打率.386・1試合平均得点9.47は出場32チーム中トップ。平均得点7.29・チーム打率.310の富岡西も健闘はしているとはいえ、実力差は明らかです。
それでも実力差を埋め、超える要素を富岡西の選手たちは持っています。事実、センバツ直前の3月に入っても彼らは全くブレず、淡々と自分たちの課題と向き合い、克服していこうとしていました。
そんな彼らに頼もしいサポーターも次々と現れました。「野球のまち・阿南」らしい、スペシャルな野球人たちが集ってくれたのです。
まずは徳島県北島町にある「インディゴコンディショニングハウス」代表の殖栗 正登トレーナー。「四国発」第25回でも紹介した「健康・スポーツ講座」選択授業がきっかけとなり、年明けから週1回ペースで投手陣を中心に野球部のトレーニングを指導。エース・4番の浮橋 幸太(3年)は「殖栗さんが来てくれたおかげで、体重移動がスムーズにできるようになりました」と効果を認めます。
2人目はなんと国立・鹿児島大を3年途中で休学し、富岡西外部コーチを3月から務めている奥 将臣さん。「彼らの理解度は高いので、センバツの経験を経て夏につなげてほしい」と夏の徳島大会初制覇も見据えた中長期的な視点で選手たちに携わっています。
では、高校も伊集院(鹿児島)出身の奥コーチがなぜ、これまで縁のなかった徳島県阿南市にやってきたのか?それは、鹿児島大野球部を指導していたこの「知将」を慕ったからなのです。
地域の結束で「キセキ」を築く
今年2月から一般社団法人国際野球観光交流協会職員として阿南市に定住する中野 泰造さん
「ここが最後の場所だと思って、今年2月から住んでいます」。「一般社団法人国際野球観光交流協会」の名刺を差し出し、こう話してくれたのは中野 泰造さん。このお名前をを聞いて「!!」と思った方はきっと「野球ノートに書いた甲子園」シリーズを読まれた方でしょう。
中野さんは1954年8月2日生まれの64歳。現役時代は広島広陵(広島)・天理大でプレーし指導者の道へ。奈良県内で13年間高校指導者を務めた後、中国大学野球リーグの東亜大で野球部創部から明治神宮大会3度の日本一にまで導き、高川学園(山口)でも中国地区大会出場の実績。その柱こそがまさに「ノーサイン野球」だったのです。
2016年からは鹿児島大監督や社会人・鹿児島ドリームウェーブのコーチを務めていた中野さんですが、このたび一念発起して阿南市へ。新設された国際野球観光協会の仕事を務めながら、富岡西をはじめ、市内各カテゴリーに指導を行っています。
実際に指導を拝見させてもらうとその内容は基本がほとんど。しかし「1つのミスが起こった時も3~4人が見えている。選手にどんどん質問して声の出し方とかも教えてくれます」と、中野さんの率いていた高川学園との対戦を契機に「ノーサイン野球」への転換を決断した小川 浩監督も語ったように、すべての言葉が選手たちが実際の試合で使う引き出しとなっています。
「ノーサイン野球」に必須な知識と原理原則、そして試合で最大限の力を出すトレーニングに、時間を長く過ごせる伝導者。練習試合を通じ対応力の必要性を再確認してくれた阿南光。その他にもグラウンド内外で「富岡西のために」尽くしてくれた人々へ報いる舞台。それが彼らのセンバツなのです。
「21世紀枠ですが出るからには勝ちたい。一丸になってがんばります」主将・坂本 賢哉(3年)のいう一丸は「地域」に続く言葉。富岡西。いや、徳島県阿南地域は試合当日、バス50台・3,500名以上が確定している応援スタンドの力も借りて、東邦相手に正々堂々と「キセキ」を獲りに行きます。
(文・寺下 友徳)