【大学準硬式】決勝 久留米大 vs 大阪教育大
ドラフト候補・西舘昂汰、進藤勇也が元チームメート、大学準硬式で日本一になった筑陽学園OBを支えた恩師の言葉
<清瀬杯第55回全日本大学選抜準硬式野球大会:久留米大9ー4大阪教育大>◇5日◇決勝◇石川県立野球場
日本一をかけた清瀬杯第55回全日本大学選抜準硬式野球大会は、久留米大が初優勝を飾って幕を下ろした。2年前には決勝戦に進出したものの、優勝を逃して悔し涙を流した。2年越しのリベンジとなった大阪教育大との決勝は終盤に突き放して、歓喜の輪を作った。
初回、大阪教育大に先制点を与えながらも、主将の3番・吉瀬 泰斗内野手(筑陽学園出身)の同点打から一挙6得点を奪って逆転。一時、3点差まで詰め寄られながらも、7回にダメ押しの3点を加えるなど、一度もリードを許すことなく優勝を手にした。
「詰まったあたりでしたし、相手のショートは上手かったので、とにかく全力疾走をしていたら、自然と気持ちが出ました」
7回、先頭打者で打席に入った吉瀬主将は、気がついたら一塁ベースにヘッドスライディングをしていた。前の回、自らの守備の乱れなどもあって1点を失った借りを返すため、執念で内野安打をもぎ取った。すかさず盗塁を決めると、その後、打線がつながって3得点。ダメ押しに成功して優勝を決定づけた。
「毎打席、『チームに流れを持ってこよう』と思っていたので、結果が出て良かったです」と閉会式後、吉瀬の表情は喜びに満ち溢れていた。大会を迎えるにあたって「楽しんで終わろう」と誓って、学生最後の大会を戦い抜いた。まさに有言実行の活躍だったが、結果を残すまでは「楽しい時間は少なかった」と苦しいことの方が多かった。
高校時代は福岡の強豪・筑陽学園でプレー。当時は西舘 昂汰投手(現・専修大)や進藤 勇也捕手(現・上武大)と、いまやドラフト候補に名が挙がるバッテリーなどが主力。春夏甲子園出場を果たした世代で、吉瀬は主にデータ班としてチームを支えてきた。
センバツのときはプラカードをもって、チームメートとともに甲子園を経験したが、大学ではともに硬式野球をするのではなく、準硬式を選択。筑陽学園時代とは違い、1年生の秋から主力選手となってチームを牽引してきた。
こうした活躍もあり、野球人生で初めて主将に抜擢された。当然、主将としての振る舞いはわからず、チームをどうまとめるべきなのか戸惑った。練習メニューを組むなど、あらゆることを任され、苦しい時期が続く。そんなとき、吉瀬を救ったのは、筑陽学園時代の恩師・江口祐司前監督の言葉だった。
「当時言われたことで覚えているのは、『苦しまないと栄光はない』って一言なんです。今回であれば、清瀬杯くらいの全国大会くらいの厳しい大会で活躍するには、相応の苦しい練習をやらないと、最高の景色は見れないと教わっていたからこそ思っていたんです。だから練習は妥協を許さなかったので、ありがたい一言です」
高校時代は「人の後ろについていくタイプでしたので、正直、筑陽学園の仲間に驚かれると思います」というほど、人前に出るタイプではなかった。それでも江口前監督の言葉を胸に最後まで責任をもって、最後までやり切り、見事優勝を飾った。高校時代に負けない達成感だ。
「甲子園は夢舞台ですので、行進でも入れたのは嬉しかったです。ただプレーしたかったですし、大学では先頭に立って歩んできたので、負けないくらい嬉しいです」
最後には、「筑陽学園の3年がなければ、今の自分はなかった」と笑顔で語った吉瀬。これまでかかわったすべての人たちへ恩返しとなる優勝だったのではないだろうか。と同時にこれからの人生も恩師の言葉を胸に歩み続けていくだろう。