信頼する兄のアドバイスから始まった大エースの道 前 佑囲斗(津田学園)【前編】
U-18代表に選ばれ、完成度の高さを評価されている大型右腕・前 佑囲斗(津田学園)。最速152キロのストレートと切れ味鋭いカットボールをコンビネーションにした投球は完成度が高く、特に勝負所のピッチングは素晴らしいものがあり、「勝てる投手」を体現した投手だ。2年生秋から不動のエースになり、東海大会準優勝、そして3年の春夏は甲子園出場に導いた。
そんな前だが中学時代までは無名投手。いかにして日本代表に選ばれ、ドラフト候補として注目される存在になったのか。その軌跡を振り返っていきたい。
体づくりに取り組み高校入学から1年半で14キロもスピードアップ
前 佑囲斗(津田学園)
前は小学校1年生から野球を始め、投手を始めたのは3年生から。当時はいろいろなポジションを経験し、投手を本格的に始めたのは津ボーイズからだ。当時から制球力が優れた投手で、中学3年時には、「三重県選抜」に選ばれ、全国大会に出場する。
そして、津田学園でプレーしていた2歳年上の兄・恵弥さんの存在に憧れ、津田学園進学を決める。
津田学園入学後、2学年上のエース・水谷翼(現・中京大)に刺激を受ける。182センチ88キロの体格から140キロ台の速球を投げ、さらに主力打者である水谷の存在は1つの目標となった。
「僕から見れば、やっぱり1番凄い選手達だったので、『早く追いつけるように』と日頃からその選手達を見ながら練習していました」
そして1年生の秋からベンチ入りを果たし、「体を大きくする」ことをテーマにして地道にレベルアップを目指した。
投手指導は佐川竜朗監督から指導を受けた。佐川監督から常に指摘されていたのは、「強く腕を振らないと球もいかないし、スピードも上がらない」ということだ。
「まずは、腕を強く振れる体に仕上げる為に走り込みやトレーニングを多く取り入れた。ブルペンでは『コントロールはつかなくてもいいから、全力で投げろ』とよく言われました」
ただ実際、腕を強く振って勢いのあるストレートを投げるのは非常に難しい。そこで、前は立った時のバランスを大事にしていた。
「立つ時のバランスが1番大事だと思っています。投げる前に、まず立つところからしっかりと確認して、それからフォームに入るということを意識していました」
フォームの改善と並行しながら、体づくりに取り組み、2年生の夏には入学から14キロもスピードアップし、142キロを計測するまでになったが、2回戦の四日市に敗れてしまう。
「2年生の夏に僕が投げて負けたのですが、それが悔しかったので、『もっと強い選手になりたい』という気持ちが強くなりました」
大エースとして活躍した2年秋。飛躍を生んだ兄のアドバイス
前 佑囲斗(津田学園)
新チームになり、主力投手の立場になった前は、兄・恵弥さんからアドバイスを受けながら練習に取り組んだ。
「兄から『もっとコントロールを良くしたり、がむしゃらに投げるだけではなく、相手のバッターのことを考え、長いイニングを投げられるような体力をつけろ』と言われました」
打者への観察力を身につけること、完投できるスタミナをつけること、この2つのアドバイスは前 佑囲斗を支えとなる。それから前は練習でも自分の投球フォームを見直すようになった。
「ピッチング練習の時に自分の投球フォームを撮影し、どこが悪いかを人から指摘してもらって、それを次の試合で見直して試すようにしました。
指摘してもらった中で一番目立っていたのは、上半身と下半身の使い方がバラバラだということ。しっかりとムラのない使い方をできるように2年生の秋から取り組んできて、それがやっと少し良くなったかなと思います」
特に2年生の秋は自分の体の使い方をつかんだ時期で、前自身、「自分でもびっくりするくらい成長した時期じゃないかなと思います」
2年生秋では、エースとしてベスト4に導き、準決勝では菰野に敗れたが、この試合で自己最速の148キロを計測するなど、順調に成長を示していた。
3位決定戦に勝利し、東海大会に出場。東海大会では準優勝に導く快投。そして2019年1月、センバツ甲子園出場が決まり、前にとってエースとして初めての甲子園となった。
前編はここまで。後編では甲子園や日本代表で得た経験について聞きました!
(取材=河嶋 宗一)
後編はこちらから!
経験を力に変えられるのが前 佑囲斗(津田学園)の強み。甲子園と日本代表の経験が成長を生んだ【後編】