そのスイングはまるで福留孝介。そして父を超えるセカンドを目指す! 黒川史陽(智辯和歌山)【前編】
1年春より名門・智辯和歌山の主軸を務め、計4度の甲子園出場を誇る逸材スラッガー・黒川史陽。俊足の持ち主でもあり、50メートルタイムは6秒2。今春のセンバツ大会においても3試合で打率.375をマーク。主将としてチームを力強く牽引し、8強入りの原動力となった。今夏の和歌山大会開幕が近づいた6月下旬、和歌山県和歌山市に位置する野球部グラウンドを訪問。これまでの歩み、ラストサマーへの意気込みを聞いた。
至近距離で目撃できた圧巻の打撃練習

バッティング練習をする黒川 史陽(智辯和歌山)
(これが高校生のバッティングなのか…?)
身体に巻き付くようなスイング軌道はインサイドアウトのお手本のよう。ゴルフの5番アイアンで放ったかの角度で打ち出された、バックスピンがしっかりとかかった飛球は失速することなく、高確率で外野フェンスの向こう側へと消えていく。
間近で目撃することができた黒川史陽の打撃練習はまさに「圧巻」だった。
気づけば私はアマチュア時代の福留孝介選手(現阪神)と重ね合わせながら、黒川選手のハイレベルな打撃にくぎ付けになっていた。
(クセのない、基本に忠実なムダのないスイング軌道と活きのいい良質な弾道。まるで若い頃の福留選手みたいじゃないか)
そんな感想を中谷仁監督に伝えたところ「わかります。似てますね」と同意を得られた。
「福留さんもそうですし、稲葉篤紀さん(元日本ハムほか)のバッティングにも重なるところがありますよね」
名が登場した二人はともにプロで2000本安打をクリアした左打ちのレジェンドスラッガー。中谷監督は「野球が大好きな男。取り組む姿勢も申し分ないです」とプロ注目の教え子の内面にも太鼓判を押した。
「こんにちは。黒川です。今日はよろしくお願いします」
バックネット裏に登場したキャプテンに名刺を手渡す。数多のスイングを繰り返してきたことが容易に連想できる、厚みのある手が目の前にあった。
「6月は月間20000スイングをチームの目標に掲げ、連日振り込んでいます。入ったばかりの1年生たちは手の皮が破れ、血が出て痛そうにしていますが、上級生たちは今までたくさん振ってきたおかげで手のひらがカチコチで。ちょっとやそっとのことでは手の皮は破れなくなりましたね」
均整のとれたがっちりボディは現在182センチ83キロ。「高校入学後、身長が4センチ、体重は5キロ増えました」。18歳になったばかりとは思えない、落ち着いたオーラを感じながらインタビューは始まった。
[page_break:1日二時間半打ち込んだ中学時代]1日二時間半打ち込んだ中学時代

インタビューを受ける黒川 史陽(智辯和歌山)
「3歳上の兄がすでに野球をやっていましたし、父は社会人までプレーした野球経験者。気づいたときには自分も野球をやっていたという感じです」
黒川家の次男として奈良県で生まれ育った史陽少年。兄が在籍していた地元の軟式少年野球チーム「河合フレンズ」に入団したのは幼稚園・年中のときだった。
小学生時代のポジションはショート兼投手。幼少時から恵まれた体躯を誇った。
「小学校を卒業した時がたしか167センチ67キロ。常に体型はガッチリしてましたね」
中学時代は泉州阪堺ボーイズに所属し、サード、外野手としてプレー。チームの練習は金、土、日曜日の週三日だったが、中学1年の時に父・洋行さんが硬式球も打てるバッティングセンターの経営をスタート。ボールを打つ環境には不自由しなかった。
「自宅から走って片道40分の場所にバッティングセンターがあったので、平日は学校から帰ってご飯を食べてから、ランニングで通ってました。営業時間外でも自由に打てたので、毎日2時間半くらい打ってましたね」
中学最後の夏は4番打者として全国大会出場を果たし、「NOMO JAPAN」のメンバーにも選出。日本代表の主将としてアメリカ遠征を経験した。
「レベルが高い選手が集ったチームでした。特にショートの石川昂弥(現・東邦)のバッティングにはびっくりしました。すごいなぁと」
中学3年になる直前の春休み。テレビをつけると甲子園センバツ大会が中継されていた。カードは智辯和歌山対明徳義塾。延長15回に及んだ熱戦に夢中になり、延長戦で飛び出した智辯和歌山・山本龍河(現・青山学院大)のホームランに心を揺さぶられた。
「かっこいいなぁと…。この試合で山本さんのホームランを見て『智辯和歌山で野球ができたらいいなぁ』と思ったんですよね。その高校から実際に声がかかった時はびっくりしました。すごく嬉しかったです。『1年春から試合に出てやる!』という強い気持ちで入学しました」
その意気込み通り、1年春からサード、外野でスタメン出場を果たし、たちまちチームに不可欠な存在となった黒川。1年夏には3番・サードで甲子園初出場。1年秋の終わり頃には高嶋仁前監督よりセカンドへのコンバートを伝えられ、未経験に等しい新ポジションと向き合う日々を送った。
「サードとは逆の動きが多いですし、最初は難しさを感じましたが、やってみたいポジションでもあった。当時コーチだった中谷さんが毎日ノックを打ってくださったおかげで自信が少しずつついていきました」
大阪・上宮高の主将として1993年の選抜大会を制した経験を持つ、父の現役時代のポジションがセカンドだったことも新ポジションと向き合う気持ちを後押しした。
「父には負けたくないという気持ちがあるので。現在はショートの練習もしていますが、セカンドで上を目指していきたいという気持ちが強いです」
前編はここまで。後編ではセンバツ後に進化した打撃、最後の夏への意気込みも伺いました。後編もお楽しみに!
【後編を読む】アウトにならない究極の打撃を目指して 黒川史陽(智辯和歌山)
文=服部 健太郎
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