兄のリベンジを胸に名門の扉を叩いた超強肩捕手 東妻純平(智辯和歌山)【前編】
8強入りを果たした今春のセンバツ大会初戦では甲子園初本塁打をマーク。長打も打てる捕手としてプロの評価をさらに上げた。夏の和歌山大会開幕が迫った6月下旬、和歌山県和歌山市に位置する野球部グラウンドを訪問。今日までの歩み、高校ラストサマーに向けての意気込みを聞いた。
目標はプロでの兄弟バッテリー!
東妻純平(智辯和歌山)
「お兄ちゃんとは普段はそんなにマメに連絡を取り合う仲ではないのですが、正月などに実家で会った時などはがっつりと話しますね」
東妻純平の兄は最速155キロを誇るロッテのルーキー・東妻勇輔投手。智辯和歌山、日体大を経てプロ入りを果たした5歳上の兄を語る17歳のリラックスした笑顔が印象的だ。
「自分もプロ志望。いつの日かプロでお兄ちゃんとバッテリーを組むのが目標です」
生まれつき「筋肉質なんです」と東妻。
高校入学時に171センチ70キロだったボディは2年強の年月を経て、さらに筋量が増し、現在は172センチ76キロに。50メートルタイムは6秒3。バネを感じさせる質のいい筋肉の持ち主であることがユニフォーム越しでも伝わってくる。
なにかの名鑑で目にした兄・勇輔さんのボディサイズを思い出し「たしかお兄さんも172センチですよね?」と向けると東妻は少し勝ち誇ったような表情でささやくように言った。
「実はぼくの方がちょっとだけ大きいんです。お兄ちゃんを抜いちゃいました。体重は全然負けてますけどね」
和歌山県和歌山市で生まれ育った東妻。軟式少年野球チーム「紀伊少年野球クラブ」に入団したのは小1の時だった。
「お兄ちゃんも在籍していたチームだったので。当然の成り行きで自分も後を追いました」。
ポジションはショート兼投手。肩の強さは同学年の中でずば抜けていた。
「肩には自信にありましたね。軟式球で遠投の記録をはかった記憶はないのですが、小6の時に学校の体育のソフトボール投げをした際に測定ラインがひかれていないところを超え、運動場の隣にあるプールに届いてしまって。距離はおそらく70メートル以上。軟式球だったらおそらく85メートル程度は投げられたと思います」
高校でスタートした捕手人生
捕球する東妻純平(智辯和歌山)
紀伊中では紀州ボーイズに所属し、ショートとしてプレー。高校野球の舞台として選んだのは兄も通った地元の名門・智辯和歌山だった。
「兄が高3の最後の夏の県予選で敗れ、甲子園にいけなかったことが強く印象に残っていて。そのリベンジを自分が果たしたいという思いもありましたし、レベルの高い地元の高校に入って甲子園に出て勝つというのが小学生の頃からの自分の目標でもありました」
智辯和歌山にはショートとして入ったが、入学早々、高嶋仁監督(当時)より捕手への転向を言い渡された。
「高校入学前に『肩強いな。キャッチャー出来るか?』と聞かれたことがあったので、自分の中でつながりました。キャッチャー経験は小学生の頃に何度かやった程度でしたが、好きなポジションでしたし、前向きな気持ちでキャッチャー生活をスタートさせることができました。やってやろうじゃないかと」
とはいえ、捕手は一人前になるのに時間がかかるといわれるタフなポジション。東妻は「最初はかなり苦労しました…」と苦笑い交じりに振り返った。
「基本がなってないので、全てに苦労しましたね。ストッピング、スローイング、キャッチング、リード…もうすべてです」
1年秋から正捕手を担った東妻の幸運は元プロの中谷仁現監督の指導を日々、仰ぐことが可能な環境が待っていたことだった。阪神、楽天、巨人で計15年にわたり捕手として生き抜いた智辯和歌山の大先輩の的確な指導は、東妻の捕手としての能力開花を力強く後押しした。
東妻純平(智辯和歌山)
「キャッチャーになって1番感じたのは『怖さ』でした。自分の出すサイン一つで試合の明暗が分かれてしまう。指一本で試合の行方が変わってしまう。まだキャッチャーをやって日が浅いから、なんて言っていられないなと」
リードに関しては「試合の都度、フィードバックを繰り返してきました」と東妻。
「例えば、中谷さんに『なんであの球放った?』と聞かれ、『こういった狙いでサインを出しましたが、結果的にボールが甘くなってしまって打たれました。だからプルペンの段階からもっと練習します』と自分なりの根拠を伝えたとする。
『それだったらほかにもっとピッチャーが投げミスをしにくいボールがあったんじゃないか? 自分の要求がピッチャーにとってハードルの高い要求になってなかったか? それがピッチャーに対しての思いやりだぞ?』と言ったような答えが返ってきてハッとさせられる。その繰り返しです」
中谷監督には『キャッチャーは裏方。いかにピッチャーのいいところを引き出せるか、いかにピッチャーを輝かせることができるかを常に考えろ』と言われ続けてきた。
「一番大事なのはチームのため、ピッチャーのためになにができるかを最優先で考えることだと。ぼくはキャッチャーが評価されるのは優勝した時だけだと思っています。奥深いポジションですよ、本当に」
前編はここまで。後編では捕手としてのテクニック、強打のバッターとしても有名な東妻選手の打つときに意識していることについても語ってもらいました。後編もお楽しみに!
文=服部 健太郎
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