健大高崎に初優勝をもたらした「Wエース」と「Wエース」を許さなかった怪物江川と悲運の大橋 新連載・一志順夫コラム「白球交差点」vol.1
石垣 元気、佐藤 龍月(健大高崎)
音楽プロデューサーとしてCHEMISTRYやいきものがかりの結成・デビューなどで手腕を発揮する一方で、半世紀を超えるアマチュア野球観戦により野球の目利きでもある一志順夫。連載コラム「白球交差点」は、彼独自のエンタメ視点で過去と現在の野球シーンとその時代を縦横無尽に活写していきます。
エース・ナンバー「1」を背負わないエース格が活躍
今年の選抜大会は健大高崎が群馬県に初の優勝旗をもたらした。昨秋からの戦績、総合的な戦力をみれば、まあ、下馬評どおりというか、優勝候補の一角に挙げられていたから驚きは感じなかった。それにしても、他校からすると、プロ軌道のスライダーを持つエース佐藤 龍月(りゅうが)と150km超えの一級品ストレートを投げ込む石垣 元気の2枚看板を攻略するのは、想像以上に容易ではなかったと推測する。
今の時代、高校野球も投手分業制を導入するのは、強豪チームでは定石となった戦術だが、今大会ほどエース・ナンバー「1」を背負わない「背番号10」が主戦として活躍したのは珍しい現象ではなかったか。
石垣だけでなく、報徳学園の今朝丸 裕喜、愛工大名電の伊東 尚輝、青森山田の桜田 朔など将来性豊かな投手が目白押しだった。大阪桐蔭の中野 大虎のように「11番」も含めると、その傾向はさらに顕著で、以前と比較するとエース・ナンバー「1」の絶対的な存在感は希薄になっているのは間違い。
「背番号1を背負う絶対的エースの存在感」が希釈化?
もちろん、昭和の先発完投型が絶滅危惧種になっているのは今に始まった話ではない。PL学園が野村 弘樹、橋本 清、岩崎 充宏を擁し全国制覇したのも1987(昭和62)年のこと。近江が誇った竹内 和也、島脇 信也、清水 信之介の「三本の矢」継投も2001年と23年前に遡る。
これは投球過多による肩肘への負担を軽減する教育的配慮もさることながら、やはり甲子園を勝ち抜くためのやむにやまれぬ戦略的方法論だったに違いないが、どうも昨今の潮流はそれだけではないような気がする。
高校野球も令和型のコンプライアンスに支配されてきたのは、指導者のハラスメント行為による不祥事報道を見聞すれば大筋は理解できる。ドラマ「不適切にもほどがある」で演じた阿部サダヲのような野球部監督がこの時代に存在できないのは明らかだ。しかし、「行き過ぎた指導」と「愛情ある熱心な指導」の線引きは微妙で、難しい側面もあろうかと想像できるし、指導者側にも言い分があるケースも多々あるとは思う。
これは高校野球界に限った話でもなく、一般社会でも上下の関係性においてよく見られる「グレーゾーン」が存在するのと相似だ。上の立場の者が下の立場の者に対し、ひるんだり逆忖度したりするのは本末転倒だが、現場では致し方ない空気感が醸成されているのはわからぬでもない。
その前提での仮説を述べると、こうした「行き過ぎたコンプライアンス重視」の延長線上に選手の「機会均等主義」的な発想が生まれ、結果的に「背番号1を背負う絶対的エースの存在感」が希釈化されたのではないか? むろん、相応の実力なき者がベンチ入りのチャンスをゲットできるわけはないのは自明だが、近年の「背番号10」の躍進は、高校野球界全般のコンプライアンス意識の高まりにより、チーム組織内での明確な序列化を曖昧にしようという、いわばユングの集合的無意識に近い事象が顕現したからではなかろうかと邪推する。何となく、高校野球も会社のフリーアドレスのようなことになってきたなあと、ふと思った今大会であった。
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