静岡の公立校に現れた逸材 188センチの大型遊撃手・勝又琉偉が持つ一流のメンタリティー【前編】
近年のドラフト戦線で注目が集まるタイプの選手の1つが、大型内野手ではないだろうか。若手選手を見渡すと、オリックス・紅林 弘太郎内野手(駿河総合出身)が大型内野手を代表する選手の1人として挙げられるが、その紅林と同じ静岡から再び大型内野手が現れた。
静岡の公立校・富士宮東で主将を任された勝又 琉偉内野手(3年)だ。188センチ、78キロとグラウンドに立てば言葉通り頭1つ抜けた大型選手で、存在感がある高校生だ。
同郷の先輩が道しるべに
勝又 琉偉内野手(富士宮東)
入学当初は、「180センチ前後で58キロしかなかったので、マッチ棒みたいな体格でした」と3年間指導した大勝監督は、当時のことを懐かしそうに振り返り、その時から光るものがあったことを明かした。
「足が速くて、身体能力が高い印象でした。50メートル走を当時は6秒前半で走りますし、肩もそれなりにありました」
7歳から野球を始め、中学までは軟式野球。2つ上の兄がいたこともあり、富士宮東の門をたたく。現在は50メートル5.8秒で走る脚力を持ち、遠投も100メートル近く投げる。投手としてマウンドに上がれば、140キロ近い速球を投げ込むこともできる。高いポテンシャルを秘めている原石は、入学当初から抜けていた。
そんな勝又に、入学してまもなく、「目標や夢があるのか」と聞くと、その時に返ってきたのは「上のレベルでやりたい」と抽象的な回答。それを聞いた大勝監督は、「どうせ目指すなら、プロを目指そう」と決心を固め、勝又本人にも話したという。その時の道しるべとなったのは、同郷の紅林だった。
勝又自身は紅林のプレーを参考にしていることもあるというが、「意識しすぎることなく、『自分らしく』ということは心掛けて練習をしています」と過度に考えすぎないようにしているという。ただ大勝監督のなかでは、紅林の存在は大きかった。
「勝又が入学したときに、紅林が3年生だったんです。だから『こういう選手になれたらいいね』と話して、紅林のような選手を目標にして、数少ない大型ショートとしてプレーさせていくことにしました」
持って生まれた努力家の才能
勝又 琉偉内野手(富士宮東)
紅林のように高卒プロ選手実現のために、まずはマッチ棒のようだった細い体格を、強く逞しくする努力をした。1日7食にするなど工夫を凝らしつつ、睡眠でしっかり休息をとるなど、技術以上にフィジカルの強化を重要視して取り組んだ。
ただ「身長が伸びていき、体重は思った以上に増えず苦労した」と大勝監督が話す通り、1年で65キロまでは増量したが、フィジカルの課題は残った。
それでも体づくりをやめることなく、2年生になってからも継続した。加えてトレーニングに力を注ぎ、体力と筋力を強化し始めると、ようやく実を結ぶ。2度目の冬の期間で一気に体重が10キロ増加。78キロまで到達したが、「身長が止まったことで、体格ががっちりしてきたと思いますが、よくここまで大きくなりました。日々の食事の積み重ねですね」と恩師も勝又へ称賛の声を送る。
この継続できる力、努力家の一面こそが、勝又を象徴する武器である。
「勝又は努力家以外の何者でもありませんよ。家に帰って毎日欠かさず、15種目ほどのストレッチをやって、後日必ず報告してもらっていました。また、トイレ掃除も3年間担当していて、空き時間があったり、汚いと気が付けば、すぐに掃除してキレイにしていましたね」(大勝監督)
おかげで3年間は大きい怪我をしていないという。トイレ掃除は花巻東(岩手)時代に菊池 雄星投手(現ブルージェイズ)に感化されて、取り組み始めた。「やり始めてから結果が出てきたところもあるので、効果があると思います(笑)」と無邪気な笑顔を見せた。
実際に見ると、きめ細やかなところまでキレイにするなど、勝又の性格が映し出されているようだった。「ちゃんとやることだけを意識しているだけで、いろんな方に出会って、指導いただいたおかげです」と周りの環境の賜物だと話す。
ただ、言うほど簡単なことではない。こればかりは、長身と同じく勝又が持って生まれたものだといえることであり、プロの厳しい競争社会で必ず訪れる下積み時代には、このメンタリティーは武器になることは間違いない。
(取材=田中 裕毅)