伝説の早稲田実業×駒大苫小牧 06年はこの2校が主役だった【名勝負列伝その1】
田中 将大(駒大苫小牧出身)、斎藤 佑樹(早稲田実業)
甲子園の名勝負ベストテン、というアンケートをとれば、必ず上位に上がってくるのが2006年夏、駒大苫小牧(南北海道)と早稲田実業(西東京)の決勝引き分け再試合だろう。配役がまた、いい。駒苫・田中 将大と、早実・斎藤 佑樹の投手戦だ。1対1で延長に入ると、駒苫・香田誉士史監督は、10回あたりから早くも再試合を予感したという。両エースのデキが、それほどすばらしかったからだ。
両者は05年秋の神宮大会準決勝で対戦し、駒苫が5対3で勝っている。斎藤が5失点したのに対し、途中登板の田中は、早実の打者19人から実に13三振と子ども扱いした。その夏の甲子園では、2年生エースとして25.2回で38三振とチームの連覇に貢献したから、同世代では別格だ。この神宮大会でも優勝。田中は28.2回で47三振と、97年松坂 大輔投手(27回31三振)をはるかにしのぎ、”北の怪物”と呼ばれるようになっていた。
ただ、その後の田中は、ちょっと野球の神様に見放された。夏春連覇のかかるセンバツは、卒業生の飲酒により出場辞退。南北海道を制し、73年ぶりの夏3連覇への挑戦権は得たものの、甲子園入り後に胃腸炎を発症。香田監督は、少しでも負担を減らそうとリリーフ中心の起用を決断した。おもにロングリリーフで好投する田中に報い、チームも3回戦から3試合続けての逆転勝ち。青森山田戦では最大6点差、東洋大姫路(兵庫)戦では4点差を終盤にはね返した。北の王者、さすがに強い。
対する早実。センバツでは、優勝した横浜(神奈川)に敗れたもののベスト8。「神宮大会の負けがあったから、駒苫を目標に成長させてもらった」と和泉実監督はいう。この夏、中田 翔らのいた大阪桐蔭を2回戦で破ったとき、斎藤はこう宣言した。
「横浜を倒した大阪桐蔭に勝った以上、駒苫の3連覇を阻止するのは自分たちしかいない」
斎藤には、センバツの反省があった。関西(岡山)との15回引き分け再試合から3連投だった横浜戦は、3回6失点とスタミナ不足を痛感。甲子園から戻ると山道を走り込み、スクワットで汗を流し、下半身を徹底的にいじめた。さらに、右足に重心を乗せるフォーム改造で球速は最速149キロと4キロアップしている。そして甲子園本番、初戦は一時、右翼のポジションについたものの、救援が1死も取れずにマウンドに戻った斎藤は、準決勝までの5試合を実質すべて完投した。45回49奪三振、防御率1・00。直球にスライダー、勝負どころではフォーク、そしてなにより沈着冷静なマウンドさばきが光る。汗を拭った青いハンカチを丁寧にポケットにしまう姿から「ハンカチ王子」と呼ばれたこと、若い世代の読者はご存じか。
老舗ブランドの夏初制覇か、それとも戦後初めての3連覇か。プレーボールは06年8月20日13時1分、早実の先発はむろん斎藤。駒苫は準決勝同様、2年生の菊地 翔太。3回1死一、二塁でのピンチに満を持して田中が登板し、役者がそろうとスタンドがわく。本塁打記録が大幅に更新されたこの大会、見ごたえのある投手戦が少ない。たとえば、準決勝までの47試合、6回まで0対0が続いた例は皆無だ。それが決勝にきてようやく、力のこもった投げ合いとなり、7回まで両者無得点である。クレバーに、ときに熱く、淡々とアウトを積み重ねる斎藤。やんちゃ坊主のように感情むき出しでピンチを切り抜ける田中。スコアボードに、几帳面にゼロが入っていく。
そして8回、駒苫が三木 悠也の中越え弾で先制すると、すぐさまその裏、早実も長打で出た檜垣 浩次朗を、4番の後藤 貴司が犠飛で返して同点。延長に入った時点で、斎藤の頭にも「(15回引き分け)再試合がよぎった」という。エースの嗅覚、か。
延長に入ると、サドンデスの緊迫感が交互に訪れる。11回表の駒苫1死満塁、打席には岡川 直樹。香田監督は3球目に、スクイズのサインを送った。斎藤がモーションを起こし、三塁走者の中川 竜也がいいスタートを切る。ただ…。スタートがよすぎた。右投手の斎藤は、中川を視界のすみに捉え、「スライダーの握りだったので、思い切って叩きつけた」と、瞬時にショートバウンドを投じる。これを必死で止めた白川 英聖捕手が、サードの小柳 竜巳に送り、中川が憤死した。「ふだんの斎藤は、低めに外す練習などしていないはず。あの精神力の強さには、これまで出会ったことがない」とは、和泉監督である。
13回裏は、田中自らの暴投などで2死満塁と早実のチャンスだ。だが「斎藤より先にマウンドを下りたくない。気持ちだけは切らさず、思い切って腕を振った」という田中の気迫は、この大会2ホーマーの船橋 悠を二ゴロに抑えている。15回表2死。斎藤は、前年秋の神宮大会で被弾した4番・本間 篤史に、力勝負を挑んだ。直球を5球続け、うち2球はこの日最速の147キロを記録。「15回で、まだ速くなっているとは…」という本間は、フルカウントからのフォークを空振りし、天を仰いだ。その裏の早実も、2死一塁から4番・後藤が倒れ、名勝負は3時間37分でノーサイド。5万人の拍手が、いつまでも鳴りやまない。
翌日、37年ぶりの決勝引き分け再試合は、早実が小刻みに加点する。駒苫は9回、中沢のホームランで1点差まで追いすがったが、4対3で早実が夏の初優勝を遂げた。前日、酸素カプセルで疲労を取った斎藤は、驚異的な回復でこの日も完投。史上初めて7試合を投げ、総投球数は948球に達した。一方の田中。「こういう巡り合わせなのかな」という最後の打者でのフルスイング三振に、気持ちのいい笑顔を見せている。
白状すると前日、15回で引き分けとなったとき。記者席で思わず立ち上がり、拍手を送っていた。その時点で、1500試合近くを甲子園で見ていながら、そんな経験は初めてだった。
(文=楊 順行)