ダルビッシュの恩師、大谷の恩師、そして来季は「ビッグボス」、九州国際大付OB捕手の飛躍に期待
野田 海人(九州国際大付)
人との出会いは不思議なものだ。現在、開催中の高校野球秋季九州大会で、今年のセンバツ準優勝の明豊を5回コールドで破り、ベスト4入りした九州国際大付の背番号2の姿を見て、そう思った。
現チームの背番号2は、野田 海人捕手(2年)が背負っている。昨年のチームから正捕手で、背番号2を背負い、秋の新チームからは主将にもなった。強肩、好リードはもちろんのこと、本塁打が打てる長打力を兼ね備えた5番打者だが、さらにもうひとつの「肩書」がある。
マウンドに上れば最速145キロ右腕に「変身」する。背番号2でマウンドに上がっている姿は、カメラのファインダー越しに見ても、ちょっぴり違和感はあるが、それ以外は本格派右腕と何ら変わりはない。直球が速いだけでなく、スライダーの切れも良く、低めのボール球だと、新チームがスタートしたばかりの今の秋の打撃陣では見極めるのは困難で、打ち崩すのも難しい。
現チームの背番号1を背負うのは左腕の香西 一希投手(2年)。コントロールと切れで勝負タイプで、基本的には香西が先発し、野田がリリーフという勝ちパターンでここまで勝ち上がってきた。野田は福岡大会決勝では完投をマークするなど、それぞれが完投能力がある。
夏までの山本 大揮、柳川 大晟の両右腕がいたチームとは少々スケールは違うが、個々のポテンシャルの高さは、九州国際大付のメンバーの伝統だといえる。
清水 優心(九州国際大付出身)
九州国際大付の背番号2で思い出した選手がいる。日本ハムの清水 優心捕手だ。打てる捕手として「城島二世」とも呼ばれ、3年夏は甲子園を経験し、2014年ドラフト2位で日本ハムに入団した。
彼も「持っている」男だと感じた。3年夏の福岡大会初戦。[stadium]北九州市民球場[/stadium]で行われた九州国際大付の初戦で清水は4番でスタメン。その第一打席で、いきなり左中間へ本塁打を放った。高校ラストの夏初戦。プロ入りを目指していたスラッガーが、高い意識を持って臨んだ試合だった。雨も降るなか、スタンドには10球団のスカウトが視線を注いだ。その、最初の打席で「答え」を出して見せたのだ。
夏の甲子園に出場したが、東海大四に初戦で敗れた。当時、話題となった超スローボールを使用する西嶋 亮太投手を打ち崩せなかった。清水自身は4打数2安打だったが、超スローボールを見せられた最後の打席は空振りの三振に終わった。
打てない焦りと、そんな相手の「揺さぶり」にまんまとはまってしまった。現在は、その敗れた東海大四の地元、北海道でプロ野球選手となっているが、西嶋投手との交流は続いているという。
清水 優心(九州国際大付出身)
ドラフト当日も取材した。みんなから祝福され、笑みをいっぱい浮かべていた表情はもちろんだが、もっとうれしそうだったのは、最後の夏まで指揮官だった若生正広氏に指名の報告をしたときだった。時折、からかわれながら「頑張れ」と励まされている時のにこやかな表情が忘れられない。
若生監督は九州国際大付監督を退任後、埼玉栄の監督を務めたが、20年に退任したのち、今年7月に他界した。70歳だった。肝臓がんとの闘いもむなしく、この世を去った。
若生氏は東北高校監督時代にダルビッシュ 有投手(現パドレス)を育て、甲子園でも戦った。ダルビッシュを擁した03年夏に準優勝。東北で春夏7回の甲子園を経験、九州国際大付でも11年センバツで準優勝した。厳しさのなかにもにこやかな笑顔で選手の将来を楽しみにしているような監督だった。清水もその指導の元、技術、精神が鍛えられた。
清水が入団した日本ハムには栗山 英樹監督がいた。2年目の16年にはエンゼルスの大谷 翔平(花巻東出身)を擁してリーグ制覇から日本一に輝いた。二軍暮らしが多かった清水だが、クライマックスシリーズと日本シリーズはメンバー入り。大谷の活躍を間近で体験した。
翌年からは正捕手への期待から、教育も含めて一軍出場が急増した。それまで2年間で出場は6試合だったが61試合へ。現在、確固たる地位を築くところまではきていないが26歳を迎える来年には期待がかかっている。
ダルビッシュを育てた若生氏に、大谷を育てた栗山氏。大物の指導にあたった2人の指導を、清水は受けてきた。そして来季、さらに「大物」が監督としてやってきた。新庄 剛志新監督。それまでの2人とはまた違う指導方法で鍛えられるに違いない。
人は人と出会うことで変わっていけるものだと思っている。野球の世界では、その「人」とは指導者であり、チームメイトである。清水が大きな成長を遂げるヒントを、新庄新監督は与えてくれるかもしれない。
九州から北海道へと旅立った捕手が、これまでの指導者との出会いを財産に、そして来年大きな翼を広げる姿に出会いたいものだ。
九州国際大付は来年センバツの出場をほぼ確実にした。若生監督のもと、東日本大震災直後のセンバツで準優勝した11年以来となる。それは、清水が九州国際大付進学を決心した大会でもあった。
(記事:浦田 由紀夫)