U-18ワールドカップ会場・機張(キジャン) ドリームパークはなぜできたのか?
誕生のきっかけは野球博物館の建設計画だった
李相鉉チーム長
360度、どこを見ても野球をしている。野球ファンには、たまらない光景だ。
現在U18野球ワールドカップが開催されている機張(キジャン)現代(ヒョンデ)ドリームボールパークは、補助球場を含め、4面の野球場を有している。厳密にいえば、少し離れたところにリトルリーグ用の球場とソフトボールグラウンドがあるので、6面のフィールドを有することになる。
場所は釜山(プサン)の中心部から1時間以上離れ、リゾート地として知られる海雲台(ヘウンデ)の北側の小高い山の中にある。
地名としては釜山広域市機張郡となる。広域市は日本の政令指定都市に似ているが、周辺の郡部も市に編入することがある。
釜山は昔から野球が盛んで、韓国では「球都」と呼ばれているが、いったいなぜ市の中心部から離れた機張郡に、これだけの野球施設ができたのか。そのきっかけについて、この施設の管理運営をしている機張郡都市管理公団のマーケティングチーム長である李相鉉(イ・サンヒョン)氏は、「野球の名誉の殿堂、言い換えれば野球博物館を誘致したことから始まったのです」と語った。
北京五輪で金メダルを獲得し、第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で準優勝するなど輝かしい実績を誇る韓国球界にとって、日本では東京ドームにあるような野球殿堂博物館を建設することは悲願であった。ソウル、仁川(インチョン)などの地方自治体も、博物館招致に手を挙げた。そうした中で、機張郡での建設が決まったのは、ボールパーク全体の計画が評価されてのことだった。
ただ肝心の博物館の方は、運営費の問題などで、まだ建設に至ってない。機張郡が土地を提供し、釜山市が建物を建て、プロ野球機構であるKBO(韓国野球員会)が運営することになっているが、費用と収入のバランスが問題になっているようだ。その他にも室内練習場も建設されることになっており、施設自体が未完成といった感じだ。
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球場の雰囲気
野球殿堂博物館などの話は別として、ドリームボールパークが完成したのは2016年のことだ。その年、女子野球のワールドカップが開催された。複数の試合を同じ場所で、同時に進行することができるドリームボールパークは、「大会のコントロールがしやすい」と、WBSC(世界野球ソフトボール連盟)の関係者にも好評で、そのことが今回の大会の開催にもつながった。
ただ取材する立場とすると、記者席など取材スペースがほとんどなく、やりにくさはある。その点に関しては、李チーム長も「スタジアムでないので、不便なところはあると思います。その点は、これから補完しなければならない課題です」と語った。
現在のドリームボールパークの事業費は、1443億ウォン(131億円)。そのうちの一部を現代自動車が負担し、ネーミングライツの形で、現代ドリームボールパーク(厳密には現代車ドリームボールパーク)となっている。
それでも事業費の大半を機張郡が賄い、管理公団が運営していることになる。小さな自治体でそれだけの資金があるのは、機張郡に韓国初の原子力発電所である古里(コリ)原子力発電所があるからだ。今となっては複雑な問題も絡んでいるが、福島県のJヴィレッジに似ている。
ドリームボールパークは、小学生から大学生までの大会をはじめ、プロ野球の2軍戦か同好会の試合まで幅広く使われている。
特に冬休み期間の学生チームのキャンプ地としては人気で、「お断りするチームには申し訳ないですけど、希望チームの中から抽選をしています」と李チーム長は語る。
ここは日本からも近い。私が「今は日韓関係が悪いですが……」と言いかけると、李チーム長はその言葉をさえぎり、「スポーツはスポーツですよ。スポーツを通して交流を拡大していきたいです」と強調した。
実は李チーム長は、元は大韓野球協会(現大韓野球ソフトボール協会)の事務総長であり、アジア野球連盟の事務総長でもあった。それだけ、世界の野球界に顔が広いわけで、ドリームボールパークを、野球を通した国際交流の場にしたいと考えている。
(文=大島 裕史)
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