太く強固な84本の矢となって東東京を勝ち抜く! 都立小山台(東京)【後編】
昨夏の東東京大会、決勝で二松学舎大附に敗れはしものの、準決勝では全国制覇実績もある帝京を下した都立小山台。この春の東京都大会でも、名門早稲田実を下してベスト4に進出。準決勝でセンバツ甲子園帰りの国士舘に屈したものの、その戦いぶりは「小山台は勝負強い」ということを印象づけた。後編では、夏へのキーマンに話を伺った。
思いを語りぶつけ合う、日誌こそが小山台野球、強さの秘訣 都立小山台(東京)【前編】
効率的かつ合理的に練習に励む
都立小山台の池本仁志、佐藤晃の二遊間コンビ
都立小山台は、練習時間が短い中でより効率的、合理的に練習を進めていく。また、自転車置き場や、校舎の隙間やちょっとしたスペースもトレーニングの場として利用していく貪欲さもある。そうした姿勢も伝統であり、強さの秘訣の一つの要素でもあるのだ。
新チームで主将になった池本仁志君は、「前チームが準優勝をしたことで、自分たちはマークされる立場にもなるし、チームのスタートも遅かったので、不安もあった」と、新チームスタート時の正直な気持ちを語っていた。
副主将の佐藤晃君も「一人ひとりの力としては、前のチームに比べてまだまだ落ちると思います。だけど、都立小山台の伝統でもあるまとまりの良さ、それが自分たちの色だという意識を持っていて、勢いに乗れたら一気に流れを作っていく、そういう力は受け継いでいかれると思っていた」と言う。
技術的には、池本君は「打撃に関しては去年はつなぐことを考えていたけれども、チームの主軸となっていく新チームでは長打も打てる選手になっていかなくてはいけない」ということを考えた。そのために、冬のトレーニングでは食事を意識してパワーを付けていくことと、スイング強化に徹して振り込んでいったという。
一方、佐藤君は「セーフティーバントなど、小技も決めていかれるように、その精度を磨いていきたい」という自分の特色を生かしていくことを考えている。佐藤君は、比較的学校の近くに住んでおり、実は母親も都立小山台の卒業生だという。センバツ出場の際には、小学校高学年だったが、母親と一緒に甲子園へ応援に行き、「将来は、自分も小山台で野球をやろう」と決めたという。
エース・安居院勇源
また、チームの柱としてマウンドに立って、今春もベスト4進出の原動力となった安居院勇源(あぐい たけもと)君は昨夏の東東京大会では背番号18でベンチ入りを果たしていた。「絶対的なエースとして戸谷さんがいましたけれども、自分ももちろん準備はしていました。公式戦は何があるかわかりませんから、心の準備は大事です。勝てると思ったら足元をすくわれるし、勝っていても気を緩めてはいけない」と、気持ちの作り方が大切だということを学んだ。
ただ、昨秋の東京都大会では初戦で昭和一学園に敗れた。その折に、「2年生でベンチに入っていたということもあって、自分がチームを背負わなくてはいけないと思い込みすぎていた」という。それが、敗戦後に戸谷先輩から「自分だけで無理に背負うことはない。小山台にはいい仲間がいるんだ」ということを言われて、そのことで自分自身が吹っ切れたという。
そして、冬の練習としては、自分自身を鍛えるということで下半身強化に徹した練習に取り組んだ。小山台の場合は冬の間も、メインは実戦練習なので体力強化トレーニングはあくまで、自分でやっていかなくてはならない。そういう中で、気持ちも強くなっていくのだという。
[page_break:「常に挑戦者」を忘れずに]「常に挑戦者」を忘れずに
この日練習を見に訪れていたセンバツ出場時のエース伊藤優輔投手と1年下のOB小野コーチ
来るべき夏は、東東京大会のシード校として戦うことになる。しかし、そんな気負いはない。
「シード校にはなりましたが、小山台はチャレンジャーなんだという気持ちは忘れない。そして、見ている人が小山台を応援したくなるような、そんな野球をしていきたい」という強い思いを抱いている。
事実、「終盤の勝負強さ、常に挑戦者だという意識を持とう」というのは言葉だけで踊っていくのではなくて、各人が本当に心からそう信じているから表れていくのだ。そういう全体力が、都立小山台の練習一つひとつのシーンからも感じ取れる。
その背景には、「学校生活の中に野球がある」という考え方が根付いていることだ。これは、福嶋監督の指導理念でもあり、モットーともしていることでもある。
「生活>学業(教室)>野球」
この順番で毎日のことを考え、この考え方がしっかりとしていかなくては短期間で野球は上手くならないと考えている。逆に言えば、それが出来ているからこそ、「上手くはないけれども集中力が切れない野球。戦ってみたら全体の見えない力が作用して、それが後半の集中力になっていく」戦い方に繋がっていくのだ。
現在は3年生29人、2年生22人に1年生が33人入ってきている。日々の練習は、月曜日は福嶋監督が懇意にしている麻布学園の協力で、そこの河川敷グラウンドを使用させてもらっている。火曜日は、読売巨人軍の旧多摩川グラウンドを使用出来る契約となっている。その費用は、甲子園出場で集まった資金を管理しているOB会が捻出してくれている。
水曜日は、他の班との協議でグラウンドの使用権を決める日なので流動的だ。木曜日は完全オフで勉強の日と決め、金曜日は半面とはいえグラウンドが使用出来るので、主にシートノックなどの練習に充てている。そして、土日の練習試合は、基本的には遠征となっている。
場合によっては、朝8時から試合を始められるような日程の組み方をして、1試合でも多く、1イニングでも多く経験して、可能な限り多くの選手を試合に出場が出来るようにということも考えられている。
84本の矢が束になって夏の甲子園へ挑む!
折しも、この日の練習には2014(平成26)年に21世紀枠代表としてセンバツに出場した際のエースで中央大を経て、現在は三菱日立パワーシステムズでプレーしており、先日今夏の都市対抗第1代表を決めた試合で勝ち投手となった伊藤優輔投手が報告を兼ねて、福嶋監督にあいさつに訪れていた。練習を見ながら、「個々の力としては、ボクたちの時よりも今年の方があると思います。特に、打線ということで言えば、かなり上です」と、分析していた。
また、都立小山台が毎年上位に食い込めるような力を発揮していかれる背景に関しては、「やはりチームとしてのまとまりの良さ、本当に全員が同じ方向を向いて、同じ意識を持って戦えるということです」と、胸を張っていた。
毎年、大会前の6月のミーティングでは、ことにベンチ入りを果たせなかった3年生たちが、思いの丈をぶつけ合うという。そうした中から、大会へ向けてのベクトルが一つになって、三本の矢ならぬ80本90本の矢となって、折れない強さになっていくのである。
いよいよ、その夏がまた近づいてきた。この夏、都立小山台は太く強固な84本の矢となって戦っていくのである。
(取材・手束仁)