阪口 皓亮(北海)「実力を試す舞台はプロの世界と決めている」
今ドラフト戦線で一躍、注目を浴びているのが北海・阪口皓亮(こうすけ)だ。夏の甲子園では初戦の神戸国際大付戦に先発し、3回2/3を8安打1失点。わずか58球でマウンドを降りながら、自己最速の148キロをマークした潜在能力の高さにスカウト陣の目が釘付けとなった。甲子園でも背番号10だった未完の大器は、プロの世界を夢見て黙々と練習を続けている。
夏よりも一段と精悍さを増した表情に、決意の固さが伺えた。これまで抱いてきた「夢」は今、はっきりとした「目標」へと変わっている。このモチベーションが、高校野球が終わってもなお、阪口を突き動かし続けている。
「甲子園が終わったあとは、ワクワクした感じが強かったんですけど、ドラフトが近づいてくるにつれて、“本当に指名してもらえるのか”という不安も出てきています」と本音をちらりとのぞかせながらも、目の奥に潜む力強い光は隠すことができない。
1試合で評価を一変させた
阪口 皓亮(北海)
夢舞台に立つまでは、ノーマークの存在だった。186センチ77キロのひょろりとした右腕は、初戦の神戸国際大付戦で立ち上がりから140キロ台後半のストレートを連発。3番打者には自己最速となる148キロをマークしてみせた。
「自分では力を入れているつもりはなかったんで、全然気が付かなかったんですよ。あとから伝令が出てきたときに“きょうは148キロも出てるし、球が走ってるんだから力で押していけ”っていわれて。“エッ、そんなに出てるんだ”って感じだったんです」と自身も認識していなかったポテンシャルで、ネット裏の評価を一変させた。
この148キロは、今夏の甲子園球速ランキングで花咲徳栄・清水達也(150キロ)、前橋育英・皆川喬涼(149キロ)に次ぐ第3位。そのスピードはもちろん、真上から投げ下ろす独特の角度とキレ味抜群の球質には、無限の可能性が宿っている。狙い球をストレートに絞って振り込んできた神戸国際大付打線に8安打を浴び、3回2/3でマウンドを降りることにはなったが、プロの目を引き付けるには十分な58球だった。
「チームには申し訳ない投球でした。あと1つアウトを取れていれば、次のイニングも投げられていたと思いますから」。
南北海道大会でも4試合すべてに先発しながら、27イニングで16失点と、高校野球が不完全燃焼で終わったことも、次のステージを目指す強烈なエネルギーとなっている。
甲子園で力を出し切れたとは言えない。それでも大舞台で自己最速を更新してみせたという事実は、今後の大化けを予感させる。実は自身でもその予兆を感じていた。
「大阪入りしてからの練習で、すごく調子が良かったんです。なんでだろうって思ってたら、みんなから“フォームが変わってる”と言われて」。
まったく意識はしていなかったが、左腕の使い方が変わっていた。これまでは一度、三塁方向に腕を突き出してから肩を回していたのが、直接ホーム方向へと腕を伸ばして投げていた。これにより体重移動がスムーズになり、指にかかるボールの感覚が明らかに変わった。
「どうしてフォームが変わっていたのかは、自分でもわかりません」と笑いながら首をかしげる阪口。それでも秘められていた能力の一端が顔をのぞかせたことで、プロへの距離はグッと縮まった。
投手というものを覚えさせてくれた打撃投手の経験
阪口 皓亮(北海)
甲子園で準優勝した昨夏は、ベンチに入ってもいなかった。初戦の松山聖陵戦の前には長身を買われ、相手のエース・アドゥワ誠(現広島)対策として、ひたすら打撃投手をとして投げ続けた。その頃の阪口は、練習試合で制球難を露呈し崩れることが多かった。体重も66キロと、技術的にも体力的にもひ弱だったにもかかわらず、回ってきた“大役”だった。
「背の高い投手が自分しかいなかったんで…。何とかチームに貢献しようと必死でした」と猛暑の中、連日フリー打撃のマウンドに立った。
「最初はストライクを投げることだけで一杯いっぱいでした。でもやっているうちに、だんだん打者の打ちやすい“間”が分かってきた」。
それは裏を返せば、その“間”さえ外せば打たれないということだ。先輩たちに気を使いながらも、投手として必要な能力を身に付けていった。
その貴重な経験を実戦で発揮したのが、昨年のいわて国体だった。初戦の木更津総合戦に2番手として2回からマウンドへ。最後はサヨナラ負けで力尽きたが、この年の甲子園で春夏ともにベスト8の実力校を相手に、3失点の好投をみせた。
「高校になって初めての全国大会で緊張しましたけど、かえってそれが良かったと思う。制球力も良かったし自信になりました」と、ここでも大舞台での強さをみせた。この時すでに、秋季札幌支部予選の1回戦で東海大札幌に敗れていただけに、オフの大きなモチベーションにもなった。
冬場は体を大きくすることを第一に、とにかく食べまくった。朝から茶わん3杯。弁当は昼前に食べてしまい、昼食は食堂で丼物と麺の大盛り。練習にはプロテインを飲んでから参加して、夕食でも茶わん3杯。さらに寝る前にもパックのご飯を2つ平らげ、プロテインを飲んでから寝るという生活を続けた結果、10キロ以上の増量に成功した。
「正直、毎日吐く寸前でした。でもおかげでフォームもドッシリしたし、球の重さも出てきたと思います」。年末には右足甲を疲労骨折するというアクシデントもあったが、春にはきっちり間に合わせた。
まだどれぐらいの力が自分の中に眠っているのか、本人も分からない
まだどれぐらいの力が自分の中に眠っているのか、阪口本人でさえもわからない。ただ、その実力を試す舞台はプロの世界と決めている。9月上旬には大阪に帰省し、家族の前で自らの夢を語った。
「順位は何位でもいい。育成でも構わない。プロに行きたいという思いは変わらない」と力強く宣言。女手一つで3兄妹を育ててくれた母・京子さん(42)は「自分の人生なんだから自分で決めなさい」と、優しく背中を押してくれた。北海へと導いてくれた平川敦監督(46)への恩返しもしなければならない。
「中2の秋、一番に声をかけていただいたのが北海でした。夏の甲子園全国最多出場の伝統校に誘ってもらって、甲子園にも行けた。冬の雪の量にはビックリしましたけど、本当に北海に来て良かったと思います」と、プロに手の届くところまで鍛え上げてくれた恩師への感謝も忘れない。
現在は後輩にまじって、週6で練習に参加している。走り込みとピッチングを中心に、2日に1度はウエートトレで体をいじめ抜く毎日だ。
「まだ甲子園でのフォームが体に染みついていない。それをまず完璧にしたいですね。今はまだグラウンドが使えるので、動ける体のままですが、オフになればもっと体を大きくしないといけないと思っています」と、基礎的な部分の強化に取り組む一方で、ストレート、カーブ、カットボールの3種類しかない球種を増やすことも考えている。
「これまでは球種を増やすより、一つひとつの質を高めていこうという意識でやってきた。でも今後は自分にとっての決め球をつくっていきたい。いろいろ試して覚えていきたい」と、取り組んでいるのがスプリット。まだ試行錯誤の段階だが、ひと冬かけて完成させるつもりだ。
目前に迫ったドラフト会議。これまでは一野球人の興味としてみていたイベントが、今回ばかりは今後の運命を決める重大な日となる。
「限られたわずかな人しか行けない世界。雲の上の存在です。でも自分にもチャンスがある。日本ハムの大谷選手のように、チームにとって絶対的なエース、必要不可欠な選手になることが目標です」と大きな夢を口にした阪口。自分を信じて、ダイヤモンドの原石が吉報を待つ。
(インタビュー/文・京田 剛)