佼成学園高等学校 小玉 和樹投手【前編】「すべては昨秋のコールド負けから始まった」
高校生規格を超越した1年生・清宮 幸太郎(早稲田実・一塁手)の出現により、例年以上に沸いた春季東京都大会。そんな激戦区でノーシードから名門・帝京(試合レポート)、センバツ帰りの東海大菅生を倒し(試合レポート)大会準優勝。4年ぶり3度目の関東大会出場を決めたのは1966・1968年春、1974年夏に[stadium]甲子園[/stadium]出場経験を持つ古豪・佼成学園である。
その原動力となったのは168センチのエース・主将の右腕・小玉 和樹投手。準決勝まで4試合連続完投勝利。特に準々決勝では優勝候補と呼び声が高かった帝京打線に対し1失点。準決勝では東海大菅生に対して5点を失っても、粘りのピッチング。そして5月16日から開幕した関東大会ではいきなり昨秋の関東大会ベスト8の東海大甲府と対戦。強打者揃う東海大甲府打線相手に4失点完投勝利で、ベスト8進出を決めた。昨秋、都立篠崎相手(試合レポート)のコールド負けから大きく成長した姿を披露した。
では、なぜ彼は春に飛躍を遂げることができたのか?前編では昨秋の屈辱を糧に取り組んできた「新フォーム」など、冬を超えて変化したことについて語って頂きます。
昨秋「都立篠崎戦」の衝撃
小玉 和樹投手(佼成学園)
1年秋から佼成学園のエースに座った小玉 和樹。168センチの小柄ながら全身を目いっぱい使ったフォームから勢いある速球でねじ伏せる投球スタイルが持ち味である。2年春には帝京にコールド負け(試合レポート)、2年夏には日大三に敗戦(試合レポート)。強豪校に打ち込まれる経験を経ながら、都内屈指の好投手として名前が挙がるようになった。
そして迎えた昨秋都大会、最上級生・かつ主将となった小玉のパフォーマンスは当然、注目の的に。ブロック大会予選では甲子園出場経験を持つ都立城東に競り勝ち(試合レポート)、1回戦も都立永山を完封(試合レポート)。意気揚々と2回戦・都立篠崎戦のマウンドにはもちろん胸に「佼成学園」のユニフォームを着て上がった絶対エース。
が、彼とチームを待っていたのは、思いもよらぬ結果(試合レポート) だった。
この試合、都立篠崎が最速141キロの直球を狙っているのは気付いていた。それでも直球で押し切れると思っていた。しかしそれは甘い考えだった。3回裏に一気に5点を失い、そのままコールド負けを喫したのだ。「0対7」。8回裏サヨナラ負けの瞬間、小玉はベース上でガックリと肩を落とした。
「自分のため」から「チームのため」へ
この試合を機に小玉は今までの考えを改めた。
「今まではできるだけ三振を取って、完封や無失点に抑えることを意識するばかりで、勝つことよりもそういうことを意識していたところがあります」と振り返るように、自身の記録にこだわっているところがあった小玉。
「あの試合では、1人だけで野球をやっているところがありました。ちょっとした気の緩みで大量失点するというのも実感しました」
都立篠崎戦も今であれば冷静に振り返れる。
早速、チームの方針も変えた。
「一つのアウトを1人だけではなく、9人全員で1つのアウトをとっていこうと決めていきました」
勝てるために自分の投球だけに固執するのではなく、チーム全員で協力しあっていこうと決めたのだ。
「投球フォーム改造」の決断と苦闘
小玉 和樹投手(佼成学園)
このようにエース・主将の責任を果たさんとする小玉 和樹投手の想いは、大きな決断へとつながっていく。「投球フォーム改造」である。
昨秋までの投球フォームはテイクバックが大きいことにより、右手が背中に入りすぎる欠点があった。それをなくすために、コンパクトな軌道に修正。そして踏み出す左足が地面に着地するまでの時間を多く取るフォーム。いわゆる「タメ」をつくり、理想は打者からタイミングが取りにくいと思わせる投球フォームに修正した。
しかし、投手にとって投球メカニズムの変更は非常にデリケートなもの。「スピードも大きく落ちますし、全然勢いがなかったです。交わしながらの投球が続き、焦りがあって、このままでうまくいくのかなという不安がありました」と自身も振り返るように改造当初は練習試合で大きく苦しんだ。しかも、練習試合期間が終わりを迎えても改善の兆しは見えなかった。
実は昨年11月にケガ予防の特集で取材した際にも、フォーム改造で悩んでいたことを明かした上で「(藤田 直毅)監督さんと話して、必要だと決めたことなので、しっかりとやっていきます」と話していた小玉投手。そこから2か月、3か月経っても、思うような感覚で投げられない時期が続く。気づけば苦闘の時期は約半年にも及んだ。
しかし、彼は決して諦めなかった。フォームを支える体幹・下半身強化にも積極的に取り組んだ。
「やはり最後の年というのもありますし、1年生の冬よりも、倍ぐらいは走り込み、ウエイトトレーニングなどはやってきました。やっぱり『自分に妥協したら負けだ』と自分に言い聞かせて取り組んできました」
そして今年2月、やっと光が見えた。思い通りの感覚で、自分のストレートを投げることができるようになってきたのである。
新フォームにより変化した「ストレートの伸び」
では、新フォームを自分のモノにしたことで小玉 和樹の中で何が変わったのだろうか。
「やっぱりストレートの伸びが違います。去年まではボールが沈んでいたところがあって、伸びが足りないと感じたんですけど。実際に投げていても、そのまま伸びるように感じました」
女房役・濱辺 亨(3年)の捕球姿勢を見れば、その変化は明らかである。
「それまで彼は沈んだ軌道に合わせていて捕球していたんですけど、春になって真っ直ぐな軌道に合わせて捕球していたんです。これでストレートに手応えを感じましたね」
加えて相手打者が感じる感覚も。
「2月に紅白戦で投げる機会があって、打者に感想を聞いたのですが、足を上げてから着地するまでが長いから、タイミングが取りづらいといっていました。足を上げてから着地するまでの時間を稼ぎ、タイミングが取りづらいと感じさせることは、目標にしていたことなので、やっぱりうれしかったですね」
そして小玉 和樹は知った。「継続」の大切さを。
「1か月、2か月続けるだけでは結果として出るものではない。4か月、5か月と続けていけば、一生自分にとって身につくものを得られるとこの冬に感じました」
春、佼成学園と小玉 和樹、快進撃のベースはここに整った。
(後編へ続く)
(インタビュー・文/河嶋 宗一)