甲子園の歴代スラッガーを振り返る!驚きのホームラン記録は?
甲子園は数々のドラマを残すと同時に記録も残っていく。今大会では神奈川大会で大会新記録の本塁打記録を樹立した横浜の中軸を打つ村田 雄大選手や、高校通算68本塁打を打っている中京の今井 順之助選手(関連記事)が注目されてきた。惜しくも予選で敗れた早稲田実業の清宮 幸太郎選手も高校2年生ですでに高校通算53本塁打を記録し話題を呼んだ。そこで今回は甲子園で歴代のホームランバッターを記録の面から振り返っていきたい。
広角に本塁打を放つ清原、強烈なインパクトを与えた桑田のKKコンビ
森 友哉選手(大阪桐蔭時代)
夏の甲子園で最も本塁打を打ったのは9本塁打の清原 和博選手(PL学園)である。振り返れば、甲子園での清原は、圧巻の本塁打を見せてくれた。
1年夏(1983年)から名門・PL学園の4番に座り、甲子園初本塁打は、決勝の横浜商戦。逆方向への本塁打だった。1年生で主軸として出てくる選手は毎年いるが、ライトスタンドは浜風の影響が強いので押し戻されやすく、フェンス手前で失速することが多い。それだけに1年生ながら逆方向に打ち込んだ清原の打撃技術は突出していたと言える。
清原は2年夏(1984年)の享栄戦で3本塁打を放った。そして3年夏(1985年)の高知商戦で放った本塁打は中段まで飛び込む一打で、最も飛んだ当たりであった。この一発で勢いに乗った清原は、準決勝の甲西戦で2本塁打を放つと、さらに決勝の宇部商戦でも2本塁打を放った。一大会5本の本塁打は今でも破られていない記録となっている。
夏では3年連続で本塁打を放ち、1本→3本→5本と本塁打が多くなっている。清原選手の本塁打を振り返れば、打った瞬間にわかる、文句なしの当たりというだけではなく、右方向への本塁打が多いことも見逃せない。改めて清原の技術の高さが分かる。プロ入り後も、高卒1年目から31本塁打、そして通算525本塁打と多くのアーチをかけた清原。この伝説を破る大打者は現れるのだろうか。
2位は4本塁打となり、4本打っている選手は桑田 真澄選手(PL学園<関連記事>)、藤井 進選手(宇部商)、平田 良介選手(大阪桐蔭<関連記事>)、廣井 亮介選手(智辯和歌山)、北條 史也選手(光星学院)、森 友哉選手(大阪桐蔭<関連記事>)と6人いる。
清原とともに甲子園を盛り上げた桑田は、「KKコンビ」と呼ばれるようになり、絶大な人気を誇ったが、最初に甲子園のファンに強烈なインパクトを与えたのが桑田であった。1年生にしてエースの座を獲得した桑田投手は準決勝まで快投。1年生投手が甲子園4強まで導くだけでも考えられないが、すごかったのは、徳島池田との準決勝だ。桑田は、徳島池田の水野 雄仁投手(巨人)の剛球を打ち返し、本塁打。さらに強打の徳島池田打線を相手に5安打完封勝利を挙げる。その後、決勝でも勝利し、1年生ながら甲子園優勝を経験する。
現代の例えでいえば、1年生投手が夏春連覇をして勢いにのる大阪桐蔭を相手に完封勝利し、その上本塁打も打って甲子園優勝も決めてしまうと考えれば、どれだけ桑田が当時の高校野球ファンに強烈な記憶を残してくれたかをご理解いただけるはずだ。4本の中で、やはりこの本塁打が一番衝撃的であった。
また桑田が素晴らしいのは、3年夏までパフォーマンスを落とすことなく、甲子園通算20勝を挙げたこと。スーパー1年生と呼ばれた選手がその後伸び悩んで、パフォーマンスを落とすことは少なくない。1年生で煌めく才能を見せた選手に対しては、桑田や清原のような道のりを期待したくなるが、その道は決して甘いものではないということを多くの方が実感しているからこそ、「KKコンビ」は記憶に残る存在なのだろう。
清原に次ぐ強打者たちの記録を振り返る
北條 史也選手(光星学院時代)
藤井 進選手は、1985年、3回戦の東農大二戦で2本塁打を放つと、準々決勝の鹿児島商工(現・樟南)戦でも本塁打を放つ。さらに準決勝の東海大甲府戦でも本塁打を打ち、準決勝終了時点で清原を上回る4本塁打となっており、注目を浴びていた。しかし清原が決勝戦で2本塁打を放った一方、藤井は不発に終わった。だが、清原とともに注目を浴びたスラッガーであったことは間違いない。
また2005年に登場した平田 良介選手は、2回戦の藤代戦でレフトスタンドへ滞空時間が長い本塁打を放つ。そして3回戦の東北戦はさらに凄かった。2回裏、打席に立った平田は変化球を豪快に引っ張り、レフトスタンドへ飛び込む本塁打を放つと、4回裏にも変化球を引っ張り、またもレフトスタンドへ打ち込み2本目。この一打にスタンドがざわつく。そして迎えた第4打席。7回裏、一死から打席に立った平田は真ん中に入ったストレートを逃さず、バックスクリーン右に打ち込む本塁打を放ち、一試合最多タイとなる3本塁打を記録した。甲子園ファンの釘づけにした瞬間であった。
廣井 亮介選手は強打の智辯和歌山の中心選手として大活躍。2006年夏、いきなり県岐阜商戦で本塁打を放つと、3回戦の八重山商工戦では2本塁打を放ち、ベスト8入りを果たす。準々決勝では帝京と壮絶な打撃戦の末13対12で勝利したが、この試合でも本塁打を放ち、一大会4本塁打の活躍を見せ、ベスト4入りに貢献した。
そしてその6年後の2012年。北條史也選手が大爆発を見せる。2回戦の遊学館戦では9回表に、中越えの2ラン。この一打で勢いに乗った北條は3回戦の神村学園戦で初回に2ランを放ち、さらに準決勝の東海大甲府戦でも、2ホーマーを放ち、一大会歴代2位の4本塁打となり、歴史に名を刻んだ。
森 友哉選手(大阪桐蔭時代)
そして森友哉選手。夏の甲子園初本塁打は、2年夏の濟々黌戦(試合レポート)のこと。大竹耕太郎のインコースのストレートを振り抜き、ライトスタンドへ持っていった一打は技ありの一打であった。そして準々決勝・天理戦では中越え本塁打を放つ。さらに3年夏の日本文理戦(試合レポート)では、2回裏に打席に立った森は外角ストレートをレフトスタンドへ飛び込む本塁打を放つと、4回裏にも内角ストレートを今度はライトスタンドへ打ち込み、これで夏4本目となった。
森の打席を見ていると、打撃技術の高さはもちろんだが、狙い球を逃さない好球必打の姿勢が素晴らしい。本塁打を打った打席を振り返ると、これは打つだろうという雰囲気を感じさせている。その集中力の高さが、現在の活躍にもつながっているのかもしれない。
高い注目が集まる夏。そこでスラッガーとして目立てば長く語り継がれていく。平田、北條、森が見せた一打は全て圧巻だった。
この夏はどんな選手が甲子園に名を刻む本塁打を見せてくれるのか。注目していきたい。