小さな学校大きな夢! 21世紀枠九州地区代表・本部高校(沖縄)
野球が盛んな町
本部の練習中の様子
日本一の水族館と言われる国営記念公園美ら海水族館近くの、小高い丘にそびえる県立本部高校。町の人口は少ないが、野球熱は県内のどこにも負けないほど高い。
学童軟式野球の頂点を極める県大会で、本部代表チームは過去4度沖縄一に輝いており、近年でも2018年に上本部ドジャースが準優勝。中学では2002年に、全日本少年軟式野球大会で県勢初優勝した上本部中学の活躍が光る。
日本本土復帰前の昭和41年に創設された本部高校は翌年、野球部創部。その4年後には、早くも一年生中央大会で準優勝している。学童野球の歴代監督さんをはじめその子供たち、多くの人が野球に夢中になり続ける町、それが本部町だ。
地元から甲子園へ
ティーバッティング中
現主戦メンバーが一年生のときの大会。豊見城、那覇を撃破してベスト4入りした本部は、年が明けた新人大会では糸満、興南の強豪校を倒してベスト4入り。
直後の秋の大会でも実力を発揮。美来工科戦では、21安打を集めて12得点。次の普天間戦では一転して投手戦となったが、幸地と川田の完封リレーで勝ち進んだ。準々決勝の沖縄尚学は、一年生大会の優勝メンバー。燃える本部は3回、茂刈のタイムリーで先制したが中盤に逆転される。追い付くことは叶わなかったが、8回に川田のタイムリーと田港のスクイズで2点差に詰め寄る粘りを見せた。
現二年生たちは、中学で県大会ベスト4入りした力がある子もいる。エース川田も他の地域から勧誘があった。それでも、彼らが本部高校に進むことを決心した一つが、二年前の夏だったと宮城岳幸監督は語る。
▽第99全国高等学校野球選手権沖縄大会 本部ー中部商
(試合レポートはこちら)
「2年前の夏の選手権。結果二回戦で負けてしまうのですが、一回戦で中部商と当たった。あの試合を、当時中学生の彼らが観ていた。」
二年生ながら、既に剛腕と呼ばれていた中部商の中濱太洋を6回途中でKOし攻略した本部。終盤追い上げを見せられたが逃げ切り見事勝利。そのゲームに何かを感じた中学生たちが、地元に残って甲子園を目指すことを決めたという。
それは決して夢見物語ではなく、21世紀枠の九州地区代表にまで上り詰めた。あとは来年1月24日の運命を待つのみだ。
[page_break:先輩たちが繋いできた努力が身を結ぶ]先輩たちが繋いできた努力が身を結ぶ
本部高校
「彼らの頑張りだけじゃ無いと思う。」
沖縄尚学に敗れたあと、宮城監督は「これで甲子園のチャンスは、最後の夏だけになったな。」と、ナインに語った。それだけに今回の報せは、ナインはもちろん監督さんたちにとっても驚きとなった。
「君たちの、普段からの努力が身を結んだんだ。」しかし宮城監督は、これまでの先輩たちが繋いできた頑張りが学校に、そして地域に良い報いを与えたのだと考える。それは、本部町全体が持つ野球への情熱が結んだとも言えよう。
縦の変化球に優れる川田と、ボールのスピン量が多く打者を威圧する剛球を放る茂刈。共に身長は184cm。さしずめ本部ツインタワーとでも言おうか。
そこに多彩な変化球を駆使する幸地がおり且つ、左腕仲榮眞の存在も大きい。部員18名しか居ない中で、それぞれの特徴が光る豊富な投手陣を持つのは全国でも稀ではないだろうか。
それだけではなく、相手校を怖れさせる各打者のスイングスピードと打球の速さ、それに島袋竜人を筆頭に脚もある。それを支える各選手の心の部分も秀逸で、「小さな学校だが、大きな夢を胸に秘め、自分に限界を作らない」と、一日一日を本気で全うする。その意気こそが本部の本当の武器だ。
2001年、県勢としては宜野座高校以来となる21世紀枠出場へ。その報せがやってくることを願ってやまない。
(取材・當山 雅通)
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