蘇った天才・峯本匠(JFE東日本)の大阪桐蔭時代。2年秋のコールド負けを乗り越え頂点へ【前編】
2014年、2年ぶりの夏の甲子園優勝した大阪桐蔭。優勝に貢献した二塁手・峯本 匠のパフォーマンスに魅了された人々が峯本のことを「天才」と評する。事実、高校生内野手に憧れの内野手と聞くと、アマチュア選手では峯本が圧倒的。そして大阪桐蔭の後輩内野手は「峯本さんに憧れてます!」という声が帰ってくる。それほど峯本は甲子園で大きな印象を残した。
そして5年後、峯本はJFE東日本に入社し、都市対抗優勝に貢献し、さらにベストナインも獲得した。
峯本の復活に多くの人々が「蘇った天才」と評した。まさに峯本の野球人生は山あり、谷ありだった。そんな野球人生を振り返っていく。
先輩のレベルの高さに圧倒されながらも持ち前のセンスと努力でレギュラーを掴む
峯本 匠(大阪桐蔭)
峯本の野球人生の始まりは小学校1年生から。小学校までは投手だったが、伊丹西中では忠岡ヤングに入部。主に投手兼一塁手として台頭。そして中学時代に大阪桐蔭からオファーをかけられる。
「投手ではなく、打者でしたね。そして内野手の練習をしてほしいと。今はセカンドですけど、当時は内野手としては全く上手い選手ではなかったですね。
また正直いいますと、通える学校に行きたかったんです。履正社はまさにそうですよね。
だけれど大阪桐蔭の強さに惹かれてじゃあ行こうと決めました」
しかし入学すると想像以上のレベルの高さに驚かれた。
「自分が入学した4月4日はちょうど選抜の決勝戦だったんです。入学式の後に寮に帰って、1年生全員がテレビで見ていたんですが、実際に優勝して、こんなに凄い選手たちのもとでプレーするのか…で思いましたね」
そして自分と3年生とのレベル差は一緒に練習に参加して痛感する。
「自分は1年生からAチームのノックを入れてもらったのですが、自分と比べても球の勢い、肩の強さ、グラブ裁きが遥かに違かったことを覚えています。2学年上には藤浪(晋太郎 阪神)さん、1学年上は森(友哉 埼玉西武)さんと2人のドラ1が間近にいて、感覚がおかしくなっていましたね。特に森さんはどんなコースに対してもヒットにできる選手でした」
また厳しい寮生活。練習が終わればすぐに洗濯など雑務があり、寝る時間は必然と遅くなる。携帯も禁止で自由はほとんどない。寮を逃げ出したいと思ったことも何度もある。
それでも必死にくらいついていった。次第に高校のスピードに慣れていったが、田中公隆コーチ(現・福井工大福井監督)に守備を徹底的に鍛えられ、上達していった。また上達できたのはコーチの指導だけではなく、周りの目がプレッシャーとなり、よりやらないといけない気持ちとなっていた。
「僕は1年生からAチームの練習に入っていたのですが、そこには先輩の目、そしてAチームに入ることを伺う同期の目、そして指導者の目があり、ああいった緊張感の中でやることはなかなかなかったです。そういう機会の中でやれたからこそ成長できたと思います」
そして2年春にはセンバツ出場を果たす。
[page_break:履正社戦の負けが自分の未熟さを気づかせてくれた]履正社戦の負けが自分の未熟さを気づかせてくれた
峯本 匠(大阪桐蔭)
いきなり遠軽戦で、快足を披露し、ランニングホームランを放つ。上々の甲子園デビューに峯本はほっとした胸を撫で下ろす。
「やはり甲子園で安打が打てるか、打てないかでは大きく違うので、いきなり打てたのは良かったです」
こうして大阪桐蔭のレギュラーとして順調に経験を重ねていった峯本だが、2年夏にも甲子園に出場したが、3回戦で明徳義塾に敗れ、夏の甲子園2連覇が絶たれた。
まだ2年生で次があると思うかもしれないが、負けた瞬間、峯本は来年のことは全く考えていなかった。
「森さんたちの世代は投手も野手も揃っている強いチームだったと思います。自分たちより全然強いチームでした。そういった先輩でも勝てないことに申し訳無さがあった試合でした…」
新チームがスタートしても、うまくいかない日々が続く。秋の府大会では宿敵・履正社に1対13と5回コールド負けを喫し、長い冬に入った。今、振り返れば良い負けだったと考えている。
「当時、負けた時、西谷先生からは正確に覚えていないのですが、『やるしかない。やること分かっているよね。弱いんだからやるしかない』といわれたことは覚えています。練習はとてもきついものでしたが、良い負けだったと思います。
そのときは投打ともに戦力はいなかったですし、変に勝って甲子園にいっていたら、勘違いをしていましたし、夏の大阪は勝てなかったと思います」
そして一冬超えて大阪桐蔭は強大なチームへ成長していた。3年春の府大会では決勝戦で履正社を8対5で破り、優勝して近畿大会でも優勝。夏の大阪大会では準決勝で履正社と対戦し、6対2で勝利。3年連続の夏の甲子園出場が決定した。
3度目の甲子園ということで、峯本は「初出場と比べると少し余裕がありました」と語るように、攻守で躍動。チームも順調に勝ち進む。
そして準決勝の敦賀気比戦。峯本も最も印象深い試合の1つとして挙げる。
「すごい乱打戦でしたね。見ている側からすると、すごい面白い試合でしたが、やるほうはとてもしんどい試合だったことは覚えています。
あの試合は取られたら取り返す。逆にたくさん点数取られたことで目覚めたというか、ここまでの勝ち上がりを振り返っても、あまり大阪桐蔭らしい攻撃はできていなかったんですけど、この試合でようやく『攻撃の大阪桐蔭』という試合が見られたと思っています」
そして決勝の三重戦ではなかなか味わえない体験をしたという。
「スタンド全体が三重高の優勝を願っているような雰囲気で、僕たち地元・大阪なのに、完全アウェーでしたからね。味方はアルプススタンドだけでした」
そんな中でも4対3で競り合いを制し、2年ぶりの甲子園優勝を決めた。峯本は嬉しさよりも「ほっとしました。やっと終わったという気持ちのほうが強かったですね」と振り返る。
峯本はこの大会で、22打数11安打、打率.500と大当たり。この大会の活躍を評価され、侍ジャパンU-18代表に選出された。
最後の夏に輝かしい栄光を手にした峯本だったが、ここから復活を遂げるまで、長く苦しい期間を過ごすことになる。
(取材=河嶋 宗一)