目次

[1]甲子園に最も近い強豪として作新学院に進んだ
[2]吐き気を感じるほどの作新学院の練習の雰囲気



 10年連続ドラフト指名を受けている明治大。昨年は広島東洋1位・森下 暢仁大分商出身)、横浜DeNA3位・伊勢 大夢九州学院出身)が指名を受け、即戦力として期待をかけられている。そして今年、この2人に続くのが入江 大生作新学院出身)だ。

 作新学院時代、今井 達也(現・埼玉西武)らとともに全国制覇を経験。夏の甲子園では今も破られない3試合連続ホームランの活躍が評価され、U18にも選出。アジア選手権制覇に貢献した。明治大では150キロ近い速球を投げる本格派右腕として26試合に登板して防御率2.97を記録。中止となってしまったが、大学代表候補にも挙がった。そんな入江の高校時代を振り返る。

甲子園に最も近い強豪として作新学院に進んだ


 入江が野球を始めたのは小学3年生。軟式野球の今市レイダースで投手を始めたことで、野球人生が始まった。
 「自分の家族では誰も野球をやっていなかったのですが、当時通っていた学童保育の隣で野球をやっていて。そこでたまに転がってくるボールを投げ返していたら、『野球をやってみたら』と声をかけてもらったのがきっかけでした」

 投手としてはコントロールがまだ甘く、ストライクを取りに行ったところを打たれる。入江自身も「ほぼ毎日打たれていた」と小学生の時から好投手というわけではなかった。それでも、抑えた時の楽しさを胸に中学でも投手を継続していった。

 そして中学では硬式のチーム・県央宇都宮ボーイズに入団したが、甲子園に行きたい思いがあったようだ。
 「甲子園の選手名鑑を見ていると出身にボーイズの名前が多くて。自分はどうしても甲子園に行きたかったので、その近道はボーイズに入ることだと思って決めました」

 3年生の夏には第44回日本少年野球選手権大会に出場してベスト8。準々決勝で京葉ボーイズに敗れたが、全国で大きな実績を残した入江。当時はストレートとスライダーの2つを使って打者を翻弄する投手だったが、当時の練習をこう振り返る。

 「ひたすら走っていた記憶があります。1試合目に登板すると2試合目には出ないので、その時間に坂道ダッシュにポール間。あとは手押し車もしましたが、多分基礎体力や筋力が不足していたので、それを鍛えました。きつい練習でしたので、同時にメンタルが鍛えられました」

 その後、地元・栃木で、最も甲子園に近いと考えていた作新学院へ進学。希望を出して寮にも入り、本格的に高校野球を飛び込んでいった。全国8強入りの実績を持っていた入江だったが、チームの雰囲気はすさまじいものだった。