投打で鹿児島屈指の実力者 末永悠翔が鹿児島玉龍を選んだ理由とは【前編】
第101回選手権鹿児島大会で、ベスト8まで進出した鹿児島玉龍。2年生ながらリードオフマンとして打線を牽引し、「8強入り」に大きく貢献したのが末永悠翔だ。「走攻守」の3拍子が揃ったプレースタイルは県内でも指折りの実力があり、また投手としても140キロに迫る力強い直球を武器とする。
今回はそんな末永に、これまでの道のりを振り返っていただいた。前編では、野球選手としてのルーツや鹿児島玉龍へ入学した経緯などを紐解いていく。
2つのケガで成長できたこと
末永悠翔(鹿児島玉龍)
末永「投手」のプレーを見たのは彼が1年生だった2年前の8月、鹿児島市内大会の鹿児島実戦だった。父・広樹さんは鹿児島商時代に強打者として実績があり、体育教員で川辺、加治木工、沖永良部などで監督をしていた。年子の兄・壮汰は鹿児島中央の主将…血筋的に前評判の高かった選手がリリーフのマウンドに上がった。負け試合であり短いイニングしか投げなかったが、直球一本の力強い投球で鹿児島実の強力打線を抑えたインパクトは大きかった。
だが1年秋の初戦、鹿児島城西戦で投げて以降、右肩痛に悩まされマウンドには上がれなかった。2年時は外野手として出場。昨夏のベスト8入りにリードオフマンとして貢献し、打者、野手としても非凡な才を示したが、8月の鹿児島市大会準決勝・鹿児島工戦で左足首を骨折。秋の大会は出場叶わず、シード校として臨んだチームも3回戦で枕崎に敗れた。高校野球ではおよそ悔しさしか経験していない。だが、谷口裕司監督は2つの大きなケガが末永を大きく成長させるきっかけになったと考えている。
「彼が投げられないことで、他の選手たちが『自分がやらなきゃ』という気持ちになった。精神的に未熟なところがあった末永自身も自分がプレーで引っ張るという姿勢を見せつつある」。
春、そして夏が楽しみと谷口監督も、末永自身も考えている。
「どうやって揺さぶろうか?」と考えさせる選手
末永悠翔(鹿児島玉龍)
父・広樹さんと谷口監督は同学年、広樹さんは鹿児島商、谷口監督は鹿児島玉龍の主将だった。当時の鹿児島商といえば、1986年夏に甲子園ベスト4入りしたことに象徴されるように鹿児島実、樟南と「御三家」でしのぎを削る強豪校の一角だった。強打者として鳴らした広樹さんは2年夏に4番、一塁手で甲子園に出場している。同級生には後にプロ入りした井上一樹(元中日)がいて、井上を抑えて鹿商の4番を張った強打者だった。
悠翔が野球を始めたのは小4から。父から積極的に野球をやることを勧められた記憶はない。ただ川辺、加治木工、沖永良部、霧島と父が赴任した先の野球部の練習や練習試合には兄・壮汰と一緒に度々連れていってもらった。幼い頃から身近に「高校野球」があり、いつか野球をするとは思っていた。沖永良部から鹿児島市内に引っ越したタイミングで兄と2人で軟式の伊敷台ホームランズに入った。鹿児島中央の主将だった兄は「体も大きくて、足も速くてバッティングもうまかった。ずっと比べられていたので、自分も負けずに頑張る目標だった」という。
伊敷台中時代は投手、野手としても非凡な才を示した。肩の強さ、ボールの速さに加えて、「グラブさばきやフィールディングが抜群にうまい」(谷口監督)。50m6秒2の俊足で、打撃センスも高いものを秘めており、走攻守3拍子そろった選手である。
私学など強豪校からいくつか声はかかったが「勉強と野球と文武両道ができて、専用グラウンドがあって環境の整った学校」ということで鹿児島玉龍を選んだ。
「どうにかして揺さぶらないと抑えられない選手」。
昨年夏、南陽工(山口)の鹿児島遠征で対戦した際、山崎康浩監督の「末永評」だったと谷口監督は言う。これまで山崎監督が甲子園で対戦したチームには、真っ向勝負ではどうしても打たれる可能性が高く、どうにかして揺さぶって力を出させない工夫をしないとおさえられない選手がいる。末永にはそういった選手と同じような匂いを山崎監督は感じたという。
遠征後、8月末の鹿児島市内大会初戦で鹿児島玉龍は鹿児島池田と対戦した。鹿児島池田のエース三嶽空(2年)に抑えられ、9回表まで1対4でリードを許していた。8回表に3点差にされた裏の攻撃、先頭達者が四球で出て末永に回ってきたが見逃し三振に倒れた。
「末永まで回せ!」。
9回裏、谷口監督がナインに檄を飛ばした。4番・永井克幸(2年)から始まって、1番・末永に回るには6人の打者がつながなければならない。なかなかハードルの高いミッションだったが、土壇場に追い込まれ集中力が増した鹿児島玉龍打線がつながる。1点差まで追い上げ、二死二三塁で末永まで回ってきた。
「三嶽にはそれまでおさえられていたので、やり返すつもりでネクストからずっと気持ちを高めていた」末永は見事にセンターオーバーへ打ち返し、劇的なサヨナラ勝ちの立役者となった。
(取材=政純一郎)
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