野村健太(山梨学院)がスラッガーに化けた2つの取り組みと成功体験【前編】
第91回選抜高等学校野球大会の注目スラッガーとして名前が上がるのが山梨学院の野村健太だ。180センチ91キロの屈強な肉体、丸太のような腕っぷしから本塁打を量産。現在は高校通算34本塁打と、高校通算39本塁打を記録している石川昂弥(東邦)に次ぐ数字だ。
吉田監督から「山梨のデスパイネ」と呼ばれている野村の成長の秘密をたどっていく。
野村を覚醒させた「減量」と「捕手寄りのポイント」
野村健太(山梨学院)
今では全国レベルのスラッガーとして注目される野村だが、愛知衣浦シニア時代は4本塁打と特別優れた本数ではない。そして中学3年では清峰を甲子園優勝に導いた経験のある吉田監督に憧れ、山梨学院への進学を決める。
入学後、まず野村が命じられたのは減量だ。マックスは99キロもあった。減量のために投手と同じメニューをこなし、来る日も来る日も走った。
「ポール間を30本くらい走って、そこから野手の練習に入って、そこからまたピッチャーの方に呼ばれてトレーニングに入ったりしてました。めっちゃきつかったです。でもこのままではダメだと思いましたし、自分のためと思って、トレーニングをしてきました」
またトレーニングだけではなく、ご飯の量を減らした。1日800グラムも食べられたが、今では一杯の半分くらいで、ふつうのお茶碗くらいの量に留めた。ご飯の量を減らした代わりに、魚の量を増やした。
「自分は魚が好きなので魚を食べていました。魚はあんまり太らないということで。大好きなので、特に鮭が好きです」
食事制限に加えて、ウエイトトレーニングで上半身を鍛えた。その甲斐もあって、90キロ前半まで減量。野村は体の切れが出てきたことで、長打力も出てきたことを実感した。そして2年生になって、スラッガーへ化けるきっかけが起こる。それは打つポイントを捕手寄りに変えたことだ。
今までの野村は投手寄りと、前でボールを捉えていたが、それを、ボールを手元まで呼び込んで捕手寄りで打つことにした。高校生にとってはハイレベルな取り組みで、吉田監督も「プロなど高いレベルでプレーする選手にとっては当たり前の技術ですが、それは高校生にとって困難。ただ野村の場合、その困難な技術に立ち向かう意欲があったんですよね。だから打撃技術を教えるコーチの元に熱心に聞きに行っていました」と、野村の向上心の高さを評価する。
野村は捕手寄りにしたメリットについてこう解説する。
「ポイントが近いとファールにできたり、厳しいボールも合わせることができるのが利点だと思います」
高度な打撃技術が実現できたのは1年時に取り組んだ減量が生きている。
「身体を絞って、バットの出やすさ、腰の回転がすごく変わってスイングスピードもそれに伴って変わってきたと思うので、そこはすごく自分でも納得いくくらいまで来ていました」
2年の4月まで10本程度だった本塁打は、2年生になってから量産体制に。そして飛距離も変わってきた。山梨学院の砂田球場の防球ネットを軽々と超える本塁打も多くなってきた。
ついに推定165メートル弾と甲子園で本塁打を打つまでに成長!
関東大会での野村健太(山梨学院)
野村は「最も飛ばした本塁打は?」と問われると、昨年5月に行われた鳥羽(京都)との練習試合を振り返った。相手は右投手。狙っていたインコースを捉えた。
「手ごたえはばっちりでした。高めを狙っていて、インコース高めは自分にとって一番スタンドインしやすいボールでした。感触は完璧だったので『あ、もういったな』と思ったんですけど、どこに行ったか分からなくて」
結局、打球は高さ約30メートルの防球ネットを超え、さらにグラウンドの後方に見える城東バイパス(陸橋)を超え、川の方まで飛んだという。推定飛距離165メートルといわれる特大本塁打を放ち、野村はスラッガーとしての自信をつけていく。
防球ネットの奥にある城東バイパス(陸橋)
夏の山梨大会では打率.471、2本塁打、8打点と好成績を残し、甲子園に乗り込む。迎えた高知商戦。レフトポール際へ甲子園初本塁打を放つ。野村はその喜びを感じていた。
「山梨大会でも打ったんですけど、甲子園は山梨大会とは全然違う雰囲気というか、それに圧倒されたというか、気持ちよかったっていうか、すごく緊張したというか、とにかく言い方が分からないですけどゾワッとしました。歓声もすごくてそれにも圧倒されました。
この本塁打は自分にとって自信になりました。まさか自分が打つとは思っていなかったので、そこがすごい自信になりました」
初戦で敗れたが、今までの成果を甲子園の舞台で発揮した野村。そして新チームがスタートし、4番打者を任された野村はさらに自身を大きく成長させる人物と出会う。
それは名門・横浜高校で部長・コーチを歴任した小倉清一郎氏だった。(続きを読む)
文=河嶋 宗一