4番熊田任洋(東邦)はチーム一の求道者!経験を力に変える学習能力の高さ
ドラフト候補・石川 昂弥が注目されるが、もう1人、ドラフト候補に浮上する可能性を持った選手がいる。それが熊田 任洋だ。スピーディな遊撃守備に加え、高校通算15本塁打の長打力を武器にグラウンドで躍動するショートストップだ。取材を進めてみてとても努力家で意識が高い選手であることが分かった。どうやってそういう選手へ成長していったのか。これまでの歩みを振りかえりながら、進化の瞬間に迫る。
中学で全国クラスの選手に出会ったことで自ら努力する姿勢に変わった
ティーバッティングをする熊田 任洋(東邦
こだわりが深い。
12月某日の東邦の東郷グラウンドのこと。この日のチームのメニューはローテーションで回っていた。その中でもひときわ真剣な表情を取り組んでいたのが熊田だ。ティーバッティングには様々な種類に取り組み、1球1球、フルスイングを行っていく。その姿はまるで求道者のようだ。チームメイトからも一番こだわりが強いと評される熊田の姿勢はどのように築かれていったのか。
小学校時代、熊田は愛知一宮ボーイズ時代では投手と捕手を兼任。岐阜青山ボーイズでは入団当初も捕手を希望していたが、それぞれのポジションでノックを受けていたら、遊撃手の適正を評価され、遊撃手にコンバートする。
だが最初はゴロを取ることに苦労し、エラーを連発する日々。必死に練習を重ねるが、守備は中学3年間で自信が持てるものができなかった。だがボーイズリーグ中日本ブロックの関係者は熊田の攻守にわたる能力を高く評価していた。そんな中で、熊田を努力家にさせるエピソードがあった。
熊田は中日本選抜として第17回鶴岡一人記念大会に出場。この大会は東日本、中日本、関西、中四国、九州の全国5ブロックが選手を選び、8月下旬に2日間にわたって行われる大会で、ボーイズでプレーする選手にとっては大きなアドバンテージになる大会だ。
熊田は中学3年間で岐阜県内でもなかなか勝てず、憧れだった鶴岡選抜だったが、自分でも驚きの選出だったという。ここで得られたものは大きかった。
「ハイレベルな選手が多くて良い刺激になりましたし、優勝した関西ブロックの選手たちは打撃レベルが全く違っていて、もっとやらなければいけないと思いました」
それから熊田は高校入学まで懸命に打撃練習、守備練習をこなした。うまくなるためにはどうすればいいのか?を深く考えるきっかけになった。またボーイズ日本代表として2016世界少年野球大会に出場。数多いボーイズチームの中の16人に選ばれたのだから当時から才能が際立っていたが、熊田は「自分はまだまだ」と自分の実力を客観視していた。
そして進学先は東邦を選択。2016年夏、劇的な試合となった東邦vs八戸学院光星の試合を見て、「東邦でやりたい!」と決断した。東邦で通用する選手になるために練習に精が出た。
「ボーイズのコーチから特守を受け続けて、上達できたと思います」
東邦に入学すると、上級生のレベルや同期・石川昂弥の打撃を見て、レベルの違いを実感するが、熊田は「自分の意識次第で上達すると思いました」とすぐに行動に移す。
「バッティングは、自分で考えて分からなかったら、素直に他の人に聞いてみたり、アドバイスをもらったりして、いろんな引き出しを持つようにしています。守備では、今の時期だと基礎練習をやっているんですが、コーチに教えられたことを意識して、練習が終わってから守備の動画を観たりして勉強しています」
経験をモノにできる学習能力の高さを武器に強打の1番へ変貌
出塁する熊田 任洋(東邦)
熊田の能力は新入生の中でも抜けており、夏の大会までAチームの練習試合に帯同。日ごろのアピールが認められ、1年夏にしてベンチ入り。夏では14打数7安打を記録。熊田自身も「こんなにも打てると思わなかったです」と驚きの活躍だった。初めての夏について熊田は「応援がすごくて打席に立つたびにワクワクしました」と初めての夏を楽しんだ。
そして1年秋には1番打者に定着。強打の1番打者として活躍し、秋の公式戦16試合に出場して、打率4割5分8厘、3本塁打、12打点の好成績を残す。「あんなに本塁打を打てたことは驚きでしたが、中学の時よりもボールを捉える能力が上がったことが大きいと思います」と振り返った。また熊田なりの準備が高打率を生んだ。
「打席前でかなり準備します。相手ピッチャーがどういう球でカウントを取ったり、どういう癖があるかとかを常に見ます。ただ打席に入ったらあまり考えないようにはしています」
自分が練習でやってきたことを素直に出すために打席では「来た球を打つ感覚です」と語る。
かすかに配球のことを考えるが、たとえ狙い球が違ったとしても、自分が打てるボールであれば、打つ。周到な準備を重ね、公式戦では瞬時の反応でボールを裁く。この2つの積み重ねで、類まれなバットコントロールを生んだ。そして誇るべきは公式戦の三振は0ということ。
「1番は出塁することが一番。チームに勢いをつけたかったので、見逃し三振だけはとにかくしないようにはしていました」
自分が求められる役割をしっかりと理解をしていた。熊田は経験を重ねるごとに進化できる学習能力の高さがあった。
初めての選抜となった花巻東戦では4打数1安打に終わり、初戦敗退となった。
「甲子園の舞台に立って、自分の力を発揮できなかったですし、甲子園の雰囲気に呑まれたというか、硬くなってしまいました」と悔やむ熊田。
そして2年生になった熊田。さらに東邦で重要なポジションを任され、東海地区屈指のショートストップへ成長を遂げていく。
前編はここまで。ドラフト候補・石川昂弥の後を打つ4番打者を任されるにあたって、本人はどういう心境で日々の試合に臨んだのか。そして選抜へ向けての課題を聞きました。
文=河嶋宗一