身長189.5センチ、体重88キロ。このサイズだけでも将来を夢見たくなる。近年プロで活躍する鹿児島出身の本格派投手といえば、3年前の二木 康太(鹿児島情報→千葉ロッテ)だが、二木の高3夏時点でのサイズは187センチ、73キロ。太田のサイズが規格外なのが分かるだろう。憧れのプロ野球選手に「日本ハムの大谷 翔平」(関連記事)を挙げるのも、自分と似たものを感じるからだ。
少し前に、れいめいと同じ薩摩川内市内にある川内高校出身のプロに、木佐貫 洋(元オリックス)、宇都 格(元近鉄)がいたが、彼らも190近い長身の本格派投手だった。長身ではないが、3度のノーヒットノーランを達成し殿堂入りした外木場 義郎(元広島)は出水の出身。北薩には好投手を生み出す系譜があるのかもしれない。
太田にも偉大な先輩たちと同じ、もしくはそれ以上の可能性が秘められている。だが、その潜在力に見合う結果を現時点までで残せていない。高校での2年間では県大会ベスト8が最高成績。れいめいは15年春に県大会優勝しているが、このとき太田は腰椎分離症の影響で冬場のトレーニングができず、ベンチに入れなかった。
これまでの野球人生を振り返っても「悔しい思い出しか残っていない」と言う。だが挑戦をやめるつもりはない。「無冠の大器」に夏に挑む心境を聞いてみた。
中学3年間で23センチ

太田 龍投手(れいめい高等学校)
出身はさつま町宮之城。小学1年から軟式野球を始めた。身長は元々高い方だったが、急激に伸びたのは中学校の3年間だという。「入学時で160センチだったのが、卒業する頃は183センチになっていました」。3年間で実に23センチも伸びたことになる。
その「秘訣」に思い当たる節はない。「よく寝ていた」ことぐらいだろうか。中学時代も目立った実績はないが、鹿児島実、樟南、鹿児島情報など、強豪私学からは一通り声はかかった。その中で同じ北薩地区のれいめいを選んだのは「甲子園に出ていない学校に行って、強豪校を倒して甲子園に行きたいから」。
1つ上の先輩・火ノ浦 明正(現専修大)の存在も大きかった。火ノ浦は出水市の高尾野中、太田は宮之城中。場所は離れているが同じ北薩地区であり、地区大会などで顔を合わす機会があった。中2の頃、一度練習試合で対戦したが、散々に打ち込まれた。以来、LINEなどで連絡を取り合う仲となり「お前も、れいめいに来いよ!」と誘われてその気になった。