ルートインBCリーグ・信濃グランセローズなどでプレーしていた福田 真啓投手(英数学館)がアメリカ・メジャーリーグのテキサス・レンジャースとマイナー契約を結んだ。NPB経験なしの23歳が歩む異例ともいえる挑戦を前に、その胸中を告白した。

独立リーグでの成長

 彼の道のりは平坦どころか、遠く、長く、そして泥だらけだった。誰もが注目するスター街道とは真逆を行く、華やかさとは無縁の歩みこそが、彼の真価を物語っている。

 広島の英数学館に進学した福田は、広島で一時代を築いた北別府 学氏の指導を受けた。プロ注目選手が毎年のように輩出されるような名門ではなかったが、当時から150キロに迫る真っすぐを投げ込み、切れ味鋭いスライダーを武器に注目を集めていた。

 卒業後は、大学球界の強豪・東海大へと進学する。だが、大学での野球生活は思い描いていたようには進まなかった。チームは一時、活動休止を余儀なくされ、野球をやれる環境が失われてしまったのだ。

「野球がやりたい」。その一心があった福田は、東海大を離れる決断を下す。中退という選択は、ときに敗北と受け取られる。しかし彼にとっては、挑戦を続けるための前進だった。

 そんな福田が次に選択したのが独立リーグだった。21年から2年間は四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスでプレー。2年目には23登板で5ホールド、2セーブを記録。31.1回で34奪三振と切れ味鋭いスライダーで三振の山を築き、強力投手陣のリリーフの一角を担った。

 23年からはルートイン・BCリーグの信濃グランセローズへ移籍。徳島同様に中継ぎとして活躍した。1年目から26試合で防御率は1.32、27.1回で36奪三振と成績を残し、存在感を示した。2年目にも29試合で防御率1.78と好成績を残し、リーグ2位、チャンピオンシップでの日本一に貢献した。

 そんな独立時代を福田はこう振り返っている。

「独立時代から自分がどうなりたいかどこの舞台で野球をやりたいか日々成長だけを考えて必死にやってきたことが今回の成長、契約に繋がったと思います」

決して派手な実績は残せなかったかもしれない。それでも、確実に野球選手としての“芯”を鍛えていった。

異国の挑戦──ドミニカでのMAX更新

 24年にBC・信濃を退団すると、異国・ドミニカ共和国へと渡る。目的は明確だった。

「メジャーの舞台に近づくために、今できる最大の挑戦をする」

 現地で出会った日本人指導者が運営する「SHIMAベースボールアカデミー」を拠点に、ドミニカのトライアウトに挑んだ。

 言葉や文化も違う地で、日本人として勝ち上がるのは至難の業だった。それでも、福田は迷わず腕を振り続けた。すると、トライアウト中に直球が自己最速となる94マイル(約151キロ)に達していた。大きくフォームを変えたわけではないが、「考えすぎないこと。とにかく動きを速くすること。それが球速アップにつながったと思います」と自分の身体のリズムと向き合い、無駄を削ぎ落としていった結果だった。

 そのスピードに、メジャー球団のスカウトが目をとめ、テキサス・レンジャースとの契約が決まった。異国の地での挑戦が、彼のキャリアに大きな影響与えた。

 契約直後、福田は次の目標をこう語っている。

「2年以内にMLBのマウンドに立つ。それが目標です」

 決して夢物語ではない。ただし、24歳での契約と時間は限られている。だが、これまでずっと崖っぷちで踏ん張ってきた男にとって、それは“平常運転”にすぎない。

「福田真啓」の名前が、いつかMLB公式サイトに載る日が来るかもしれない。自ら投球でその扉を開こうとしている。その日が来たとき、彼を支えているのは、華やかな成功体験ではないだろう。

【写真】契約書にサインする福田投手

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