生光学園vs新野
生光学園、「弱者側視点」で新野の攻勢退ける
生光学園先発・安藝 智哉(1年)
強者が陥りやすい罠。「ジャイアントキリング」を引き出す要素。それは弱者側からの視点が見えず、弱者が強者を倒す方法を弱者側から出された際、自らが慌て、乱れ、自滅することである。
常に徳島県唯一の私学野球部として県内ならず四国内でも上位のポテンシャルを有している生光学園もこれまでは然り。キャッチボール後にはお互い、片づけを手伝う選手には必ず「ありがとう」の声をかけるなど、生活面やグラウンド外での振る舞いには他校の模範となるべき行動が多々ある一方で、夏の徳島大会準決勝・鳴門渦潮戦での延長10回競り負けなど、悲願の初甲子園をかけた大事な大会で悉く勝利に結びつかない傾向は、なかなか改善の兆しが見られなかった。
ただ、今回のチームにはそのジンクスを脱しそうな雰囲気が漂っている。この新野戦では生光学園スタメンのうち4人が1年生。夏の鳴門渦潮戦でのスタメンは0。新野戦「1番中堅手」の山形 龍生(2年・右投右打・165センチ58キロ・生光学園中<ヤングリーグ>出身)が途中出場したのみ。だからこそ河野 雅矢監督は「ウチは弱い」を立ち上げ時から合言葉として徹底。弱者側の目線からチームを強化している。
よって3回表・先発の最速136キロ1年生右腕・安藝 智哉(178センチ70キロ・右投右打・生光学園中<ヤングリーグ>出身)が生光学園中の同級生である新野1番・高岡 玄也(1年・中堅手・174センチ70キロ・右投左打)に右翼芝生席中段へ大会第2号・自身高校通算初本塁打となる先制アーチを運ばれても、彼らはあわてなかった。
安藝は指揮官曰く「人の心を思う力はすごい」7番・強肩の熊谷 駿介(2年・右投左打・172センチ83キロ・春日井ボーイズ<愛知>出身)の好リードにも導かれ、5回5安打1失点。夏の徳島大会でも活躍が光った変則左腕・仲尾 元貴(2年・左投左打・174センチ59キロ・忠岡ボーイズ<大阪>出身)も、「夏までのインステップを直して打者の手前で沈ます伸びるようになった」球筋を駆使し6回からの4イニングを2安打1四球と完ぺきに近いリリーフ。
高校通算17本塁打・最速137キロの新野4番主将・折下 光輝(2年)
その間に打線は山形が同点打。3番の山口 留以(1年・三塁手・165センチ75キロ・右投右打・生光学園中<ヤングリーグ>出身)が逆転打・ダメ押し打の活躍で、生光学園は力強い逆転勝ちを飾った。
「このチームはみんな素直なので、プラスの部分もマイナスの部分も伝染する。だから徹底して先のことは考えず。目の前の試合を戦っていきます」(河野監督)。ある程度の実力を持ったものが弱者の心=謙虚さを持って戦い続けると、真の強者になる。それは過去の歴史が証明している。
最後に敗れた選手17名・新野についても。旧チームは左腕・任介 澪志が投打の大黒柱であったが、今回のチームは5打数3安打2長打、小松島高時代の2012年・徳島県高等学校体力・技術向上研修会でベースランニング1周13秒90(歴代3位タイ)を叩き出した兄・桐士譲りの身体能力を見せ付けた高岡や、最速137キロ・高校通算17本塁打の打者としても4番を張るエース・主将の折下 光輝(2年・175センチ76キロ・阿南市立阿南第一中出身)など、魅力あふれる選手が多数いる。
この準々決勝は学校近隣の[stadium]アグリあなんスタジアム[/stadium]開催。大声援を受けて戦った自信と「沸点に達するまで振れなかった」(中山 寿人監督)悔しさを糧に冬の練習を乗り越えることができれば、1992年センバツ・初出場で名門・横浜を大逆転で破った中山監督の下での「新野旋風」再来も決して夢ではない。
(文=寺下友徳)
関連記事
・2016年秋季大会特設ページ