元球児で花園出場!松山聖陵・山口真之介選手が語る「今だから高校球児たちに言えること」
花園に出場した「元高校球児」
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新型コロナウイルスの影響により形式には変化が生じているものの、3月1日(日)を中心に全国各地で行われている「高校卒業式」。スタジアムを沸かせた高校球児たちも、次のステップへ向かって巣立ちの時を迎えようとしている。
一方、昨年2年連続センバツ出場を果たした松山聖陵(愛媛)ではこんな「元高校球児」が卒業式を迎えた。彼の名は181センチ98キロの堂々たる体格を誇る山口 真之介(やまぐち・しんのすけ)。ただ、彼が背番号「5」をまとって3年時に出場した全国大会は「甲子園」ではない。
季節は冬、場所は大阪府東大阪市。そう、山口選手はラグビー部の一員として「第99回全国高等学校ラグビーフットボール大会」に出場。高校ラガーマンにとって憧れの地である「花園」でプレーしたのだ。
では旭川龍谷(北北海道)を破り、ラグビー界の盟主・東福岡(福岡)からも2トライを奪う健闘を見せた松山聖陵のロックは、なぜ野球からラグビーへ転向することになったのだろうか?
高校野球からラグビーへ「運命の転進」
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「松山市立堀江小2年の時、兄がやっているのにあこがれて始めた」山口 真之介・野球の道。松山市立内宮中では一塁手から投手に転じ、5番打者としても活躍した。しかし、そんな彼の野球人生は最後の中学総体直前に暗転する。
「大会1週間前に右ひじが動かなくなって。そこで医師に診てもらったら小学校5年の時から野球ひじだったことがわかって、そこでトミージョン手術を受けました」
それでも、野球が心底好きだった彼は高校野球を続ける選択をした。選んだ高校は松山聖陵。1学年先輩には土居 豪人(千葉ロッテマリーンズ)。同級生には根本 大蓮(福井工大進学予定)と大型右腕がそろう中。最初はリハビリに専念した山口は1年秋から練習試合にも登板するまで回復。しかし、昨年12月に「プロ野球愛媛県人会」行事などで里帰りした土居いわく「優しい性格」が逆に彼を苦しめることになる。
「フォームが固まらなくて毎日考えながらやっていたら、考えすぎて思うように投げられなくなったんです」
よって2年春のセンバツも山口はベンチ外。土居や一学年下の平安山 陽(2年)らの活躍を「すごいなあ」と思いながらスタンドから見守り、夏を超えていよいよ最高学年へ。ただ、それでもベンチ入りへの道はなかなか見えない。
ただその半面、そんな山口の堂々たる体格に「可能性がある」と新たな方向を見出している指導者もいた。ラグビー部の渡辺 悠太監督。現役時代は東海大仰星(大阪)で全国制覇。東海大では日本代表主将のリーチ・マイケル(東芝)らと共にプレーした後、1年間の滋賀県内高校での講師を経て2012年に就任した松山聖陵では2015年に花園2勝をあげるなど、着実に全国舞台で結果を残している31歳のニューリーダーである。
「これまで全くラグビーボールに触ったこともなかったし、考えたこともなかった」(山口)異業界からの誘い。荷川取監督から2週間の時間を与えられた彼は悩みに悩んだ末、「最終的に思い切りできる方でかんばろう」と「運命の転進」を決断したのである。
[page_break:「高校野球」に励まされ、活かし、全国舞台へ/高校野球で学んだ「一生懸命」をこれからも]「高校野球」に励まされ、活かし、全国舞台へ
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「山口はケガから始まってかわいそうな部分があったけど、根は真面目。だから別の道でも花開けばいいと思っていた。だからラグビー部へ進むことも勧めました」。野球部・荷川取監督も山口の背中を押して中、2年連続センバツ出場をかけた秋季愛媛県大会1回戦翌日の2018年10月7日。山口 真之介がいよいよ野球部を離れる時がやってきた。
「野球部のグラウンドでみんなに報告して『今まで野球部にいれて本当に楽しかった。ラグビー部でもがんばります』と言ったら、仲のいい野球部の仲間は練習後に泣いてくれたりして。そこで改めて『頑張ろう』と思いました」
かくして高校野球から最後に受けた励まし。そして高校野球での経験は「最初はルールも解らず練習試合でウイングに入って『ボールを持ったら前に進め』と言われた」ラグビー部でも活かされることになる。
「最初の練習試合を終えてからはロックに入ったんですが、スクラムを組む時には『踏ん張る力』が必要になってくるんですが、そこは野球部でやってきた下半身・体幹トレーニングがスタミナとしても活きました。今考えたら1年の冬に砂浜でトレーニングしたこともよかったです(笑)」
1ヶ月も経たずにトライも獲得。「野球では出し切れなかった『思い切り』がラグビーではできる。それが楽しかった」山口はすっかりラグビーの魅力に取りつかれていく。
そこに加えてラグビー選手としての進化にも彼は目を向けた。フィジカルコンタクトが発生しまくるために、必須となる「投手」としてはこれまで付けてはいけなかった上腕を中心とした上半身のウエイトトレーニング。2019年・ラグビーW杯でもジャパンをはじめ、数多く見られた「ルールを理解して、周りを活かせるように考えながら動く」スキルも身に付ける。
そして「運命の転進」から1年少し……。2年連続センバツ出場した野球部から刺激を受けた山口は、三島を愛媛県大会決勝戦で破りチーム2年ぶりの花園切符を手に。「グラウンドが広くてすぐに楽しくなって、野球では出しすぎてはいけないアドレナリンが出しっぱなしだった」花園でもスクラム・ラインアウトで起点となり3年ぶりの大会勝利の原動力に。東福岡には14対100で敗れ3年前のリベンジはならなかったが、チームは「最後までやりきる」意思を持って2トライを奪う意地は見せた。
高校野球で学んだ「一生懸命」をこれからも
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卒業後は関東大学リーグの強豪・東海大に進学する山口 真之介。本来ならジャパンや世界への夢を抱いてもいい舞台だが、彼自身は「今やることを頑張って、その先があれば」と、あくまで足下を固めることを見据える。
そんな考えに至るのも「高校野球」の経験があってこそ。最後にラガーマン・山口 真之介は、高校球児たちにこのようなメッセージを送ってくれた。
「僕は野球をやるために松山聖陵に入って、2年生になっても自分が試合に出れると思ってやってきました。でも、そうやってきた上で広く物事を見ると野球だけでなく、他の競技でも活きることが見えてきた。だから、今試合に出られない高校球児の皆さんも、まずは野球を全力でやって、その上で広く物事を見て、別の道があったら、決断して別の道を進むこともありだと思う。ただ、そこでも一生懸命にすることが大事だと思います」
高校野球が教えてくれた「一生懸命」。そのベースを「ラグビー」という舞台でさらに展開するために。「元高校球児」山口 真之介の挑戦はこれからも続いていく。
記事:寺下友徳