今年の高校生で最も甲子園で勝った山田陽翔(近江)が振り返る激動の高校ラストイヤー
10月20日のドラフト会議で西武から5位指名を受けた近江(滋賀)の山田 陽翔投手(3年)。この1年は右肘の疲労骨折に始まり、代替出場からのセンバツ準優勝、夏の甲子園4強に侍ジャパンU-18代表と、激動の時間を過ごした。
高校野球の話題の中心となり、これからプロの世界へと進む山田に1年間の振り返りと今後の意気込みを語ってもらった。
怪我の功名 フォームも変えて、センバツでは見事な復活劇を見せる

指名を受け笑顔の山田陽翔(近江)
昨夏の甲子園終了後に右肘の疲労骨折が発覚。その反省からケアには、より気を遣うようになったと話す。
「投げた分だけケアリングも同じくらい時間をかけてするなど、ケガを再発しないようにする様になりましたし、そこを守る上で周りの筋肉は鍛えるようになりました。体が資本になってくる中で少し配慮が足らなかったのか、ちょっとした心配りのなさがそういう結果に繋がってしまったと思う。小さなことの積み重ねだと思いますけど、しっかり気をつけながらやっていきたいと思います」
過密日程の中で甲子園の全試合に先発という事実はあったが、ケガの原因を自らのケア不足として反省して、再発防止に最善を尽くした。また、復活に至るまでの最中に投球フォームを改善。2年生の夏はセットポジションに入った時の姿勢が猫背になっていたが、「力みすぎからきたものなのかもしれないです」とその原因について話しており、そこを修正することに努めてきた。
「胸を張って真っ直ぐな姿勢で立つことがピッチャーの基本でもありますし、基本に忠実にやっていたと言いますか、初心に戻ったということですね。投げる時は胸を張っている状態なのに最初から猫背になっていたら余計な動きがあり、そういったところが要らない力みに繋がってくると思うので、最初からゼロポジションで構えることは意識していました」
投球フォームを改善して故障も癒えた山田は3月の練習試合で実戦復帰。京都国際(京都)の出場辞退により、急遽の出場となったセンバツで見事な復活劇を見せた。1回戦の長崎日大(長崎)戦は13回を投げ切ったが、「体力強化をしてきた分、球速も落ちることなく、しっかり投げ切ることができたので、そういったところは冬の成果が出たのかなと思います」と手応えを感じられる試合となった。
初戦でタイブレークの激闘を制した近江は勢いに乗り、滋賀県勢初の準優勝に輝く。準決勝の浦和学院(浦和)戦で左足に死球を受け、万全な状態に戻るには約1ヶ月を要したが、夏の滋賀大会にはしっかりと合わせてきた。
夏の甲子園のパフォーマンスはバランスが良かった

山田陽翔(近江)
だが、甲子園までの道のりは平坦ではなく、初戦の瀬田工戦や準決勝の比叡山戦は1点差の試合になるなど、苦戦を強いられた。甲子園よりも滋賀大会の方が相手の気迫を感じたと山田は振り返る。
「捨て身で向かってくる相手を見ていると、こっちも受け身ではいられないですし、自分達も『もう一度甲子園に戻るんだ』というチャレンジャー精神を持って、相手に向かっていく気持ちが大事ということは僕もキャプテンという立場で選手全体に言わせてもらいました」
その中でも近江は激戦を勝ち抜き、3季連続で甲子園に出場。昨夏と同じ4強という成績を収めた。この大会における自身のパフォーマンスは「バランスが良かった」と分析している。
「ピッチングにしてもバッティングにしても悪いところも、もちろんあったと思いますけど、その分、自分自身でカバーできているところもあったと思うので、振り返ってみるとバランスが良かったのかなと思います」
先制点を奪われながらも自らのバットで取り返すなど、投打で力を発揮した山田。目標としていた日本一には届かなかったが、自分たちの力は出し切れたと実感したようだ。
U-18ワールドカップで実感した日の丸の重さ、実力を出すために取り組んだこと

侍ジャパンU-18代表に召集
甲子園の後には侍ジャパンU-18代表に召集され、主将も務めた。主将になることを知ったのは多賀 章仁監督から知らされたそうで、「まさか自分が」と思ったという。
主将として心配していたのがコミュニケーションの点だったが、「凄くコミュニケーションがとりやすく、先頭に立ってやったというよりも周りが自分を支えてくれた」と特に苦労はしなかったそうだ。
中学時代に世界大会を2度経験している山田だったが、今回のWBSC U-18ワールドカップが行われた米国のフロリダで最も苦労したのが連日のスコールだった。雨で試合が中断になることが何度かあったが、その度に調整に苦戦を強いられた。
「台風並みの雨が毎日降っていたんですよ。風邪を引かなかっただけでも凄いですね」
思うような調整ができず、オープニングラウンドのパナマ戦やスーパーラウンドの韓国戦で打ち込まれた。
ただ、これで終わらないのが山田だ。「初心に戻ると言いますか、センバツに向けてフォームを変えた時に意識したことを振り返って、一からやっていました」と大会期間中に自らの投球フォームを見直した。すると、スーパーラウンド最終戦の米国戦では2回裏の無死満塁から登板して無失点に抑えると、継続試合として再開した後の3回も三者凡退に仕留める。
「調整不足でチームにすごく迷惑をかけたところがありましたけど、最後の最後でなんとか貢献することができました。勝ちに繋がらなかったんですけど、何とか一矢報いることができたのかなと思います」と主将としての意地を見せた。
「今回はキャプテンも務めさせて頂いて、日の丸の重さもすごく感じましたし、良い意味での緊張感を感じながらの試合でした。他国との選手たちとの交流もあって、慣れない環境で違う野球をして、すごく良い経験でしたね」とU-18での戦いを振り返ってくれた山田。日本代表は銅メダルを獲得し、収穫の多い大会となった。
帰国後に山田はプロ志望届を提出。プロ入りに備えて体力強化と筋力強化に励んでいる。ドラフト会議3日前に取材した際には、「特に変わらずいつも通り過ごさせてもらっています」と平常心を崩していない様子だった。
ドラフト会議当日のテレビ中継では上位候補として注目されていたが、西武から5位指名を受けるという結果になった。
目標にしていた上位指名とはならず、悔しさもあっただろう。だが、11月4日に行われた指名挨拶後の会見では、「ドラフトで指名頂いてから、練習に対して前向きにするようになりました」と明るい表情で話していた。
今回のドラフトの方針から5位で指名する流れになったものの、西武の潮崎 哲也編成グループディレクターは山田の実力を高く評価している。
「我々としては山田君を5位で獲れたというところにありがたみを感じているとお話しさせて頂きました。他の人にはない気迫や負けない気持ちが全面に出ているのは素晴らしいところだと思うので、そこはプロに入っても忘れずやってもらいたいと思います。空振りをとれる変化球があるのは一つの大きな武器だと思うので、長所として伸ばしていってもらいたいと思います」
投打で超高校級の活躍を見せた山田だが、プロでは投手として勝負する予定となっている。「長い間活躍できる選手になりたいと思いますし、見ている方々に楽しんでもらえるようなプレーをしたいと思います」とプロでの目標を語る山田。高校野球界を湧かせた男はプロの舞台でどんな活躍を見せてくれるだろうか。
(取材=馬場 遼)