明治から令和へ、伝統校・八幡商は「新旧」融合で復活【前編】
1898年創部と滋賀県で最も古い歴史を持つ八幡商。春夏合わせて14回の甲子園出場は、20回の近江に次いで県内で2番目に多い数字だ。
甲子園では春に3度、8強入りした実績があり、9回表の逆転満塁本塁打で勝利した2011年夏2回戦の帝京戦は多くの高校野球ファンの記憶に刻まれていることだろう。しかし、その夏を最後に甲子園から遠ざかっており、近年は上位まで勝ち残れないことも度々あった。
そんな中で今年は11年ぶりに秋の滋賀大会を制し、名門復活を印象づけた。その背景には伝統校の強みと先進的な指導の融合があった。
いきなり「ノーヒットノーランリレー」
八幡商の練習風景
校舎から少し離れた第2グラウンドが野球部の練習場だ。練習試合ができるほど十分な広さがあり、立派な雨天練習場もある。伝統校と言われるだけあって、設備は充実しており、OBやファンの支援も手厚い。
チームを指揮するのは同校OBの小川 健太監督だ。大学時代に母校の指導を手伝う中で指導者を志すようになり、他校での勤務を経て、2017年に八幡商に赴任。今年3月までは部長を4年間務め、4月から監督に就任した。
夏までは投手を中心に守備から流れを作り、攻撃では少ないチャンスをものにするという伝統の野球を継続。春は1回戦で立命館守山に逆転負けを許したが、夏は3回戦まで勝ち進み、甲子園で4強入りした近江相手に4対6の接戦を演じた。
この時にレギュラーだったのは、新チームで主将となった内野手の北川 敦也(2年)のみ。「この秋に結果を出すのは難しいかな」と小川監督は感じていたそうだ。
ところが、新チーム最初の練習試合で、秋の主戦となる水野 夢月、有園 広大、中川 翔介(いずれも2年)の継投で、ノーヒットノーランを達成した。「ピッチャー陣をしっかりと育成して、何とか秋の大会を勝ち上がれたら」と小川監督は希望を見出すようになった。
宮地コーチの指導で最速143キロに
宮地 穂高コーチの指導を受ける八幡商の投手
投手陣の成長の裏には7月から指導に携わるようになったOBの宮地 穂高コーチの存在がある。宮地コーチは2011年夏に控え投手として甲子園に出場しているが、トミー・ジョン手術を2度受けるなど、怪我に苦しむことが多かった。
「自分の辛い経験を選手にしてほしくない」と自ら学んだトレーニング方法などをTwitterやYouTubeで発信していたことが小川監督の目に留まり、投手陣の指導を任されるようになった。
その指導法は実に先進的だ。「選手に自分の体を知ってほしい」とブルペンで投げる時はスマートフォンで動画を撮らせ、球速や回転数などを計測するラプソードを活用して投球データを共有。トレーニングも単なる走り込みなどではなく、宮地コーチが学び、プレーヤーとして自ら実践した身体操作系のメニューを取り入れ、投球に必要な筋肉や柔軟性の強化に努めている。
こうした練習法で急成長したのが、近畿大会でエースナンバーを背負った中川だ。野洲ボーイズでは控え投手で、高校でも今春までは捕手を務めるなど、投手としては目立つ存在ではなかった。
7月の時点で球速は120キロ台後半だったが、宮地コーチの指導により、最速を143キロまでに更新。秋の大会ではリリーフエースとしてチームの躍進を支えた。成長の裏にはラプソードの導入や宮地コーチのトレーニングが大きかったと中川は話す。
「回転数や回転軸など、自分が投げている球の悪いところや良いところをラプソードで勉強できているので、そこは良いかなと思います。自分は回転数が少なかったので、回転数を多くできるように意識しました。(回転数を上げるために)まずはフォーム作りとか体作りを一からやり直してきました。ブリッジとか体の柔らかさを鍛えるトレーニングを常にやっていたので、そのおかげで球速が上がったのかなと思います」
「新旧」融合はそれだけで終わらない。詳細は後編でお届けする。
(取材:馬場 遼)