上尾vs川越工
埼玉の公立名門校対決は、上尾が最後に超美技で川越工の反撃封じる
かつて、昭和期の後半には埼玉県の高校野球をリードしていた公立校同士。伝統校対決となって、古くからの高校野球ファンにとっては非常に興味深い対戦カードである。
上尾の高野和樹監督、川越工の熊澤光監督は、どちらも母校を率いるベテラン監督である。ユニフォームも縦で4文字「上尾高校」とローマ字2段重ねの「KAWAGOE KOGYO」のユニフォームも基本デザインは当時から変わってはいない。そんな雰囲気も、ファンの郷愁を誘うと言っていいのかもしれない…。
名門復活を目指す上尾は、この春も県大会は地力のある川口市立に完封勝ちしたり、立教新座を下すなどしてベスト4に進出してシード校として四隅の一角を確保した。川越工は、チャレンジャーの思いで上尾にぶつかっていくことになった。
この両チームは、コロナで予定していた県外校との試合が流れ、なかなか対外試合を組めないという状況下で連絡し合って、3月26日に練習試合が組まれていた。そして、その時も僅差の試合になったというが、「相手投手は、相当いいのでそんなに点は取れないだろう」というのは、両監督とも認識していた。
上尾はオーソドックスな右オーバーハンドの新井 陸斗君。しっかりと腕を振って投げ込んでいくスタイルだ。川越工は右アンダースローで地面すれすれからリリースされる投法で低めにビシッと球を集めていく鈴木 翔馬君。この二人で緊迫した投手戦という序盤の雰囲気だった。
試合が動いたのは3回。上尾は7番金元君が死球で出ると、続く8番新井君の一打はボテボテながら内野安打となる。さらにバントは失策を誘い上尾は無死満塁の好機。ここで、後藤君の犠飛と土屋君のスクイズ内野安打で2点を奪った。3回にも四球と盗塁で二死二塁という場面から、またしても新井君が今度は上手に左前へ運んでこれが3点目のタイムリー安打となった。
この場面、熊澤監督は、「ちょっと球が高めに浮き気味になっていたので嫌な感じがしていたのだけれども、その不安が当たってしまった」と残念がった。
それでも川越工も6回、一死二塁から3番新井 優我君が右前適時打して1点を返す。6回に、上尾がまたも新井 陸斗君のタイムリー打で再び3点リード。新井君の出来からしても、そのまま逃げ切っていくのかなとも思わせる雰囲気でもあった。
ところが8回、川越工は6回に代打で起用されて、その後そのまま5番に入っていた小笠原君が一死一二塁から右中間へ大きな飛球で、これが三塁打となってたちまち1点差。試合はどう転んでいくのかわからないぞという雰囲気にもなってきた。
しかも、9回の上尾の守りはここまで粘って投げて投打に活躍していた新井 陸斗君の足が攣りそうな気配があったということで外野に下がり、中澤君がリリーフのマウンドに立った。
やや力みもあったか中澤君は先頭の澤口君に四球を与えて、バントで一死二塁となる。ここで、1番小栗君の打球は、右中間を破る長打になるかと思われたが、上尾の右翼手土屋君がダイビングの超美技で捕球。抜けたと思って同点のホームへ向かって走っていた二走の澤口君は戻れず併殺となってゲームセット。しびれる古豪対決の試合は、最後の最後まで見せ場満載で、辛くも上尾が逃げ切った。
高野監督は、土屋君のファインプレーについて、「球際の大事さはいつも言っていることですけれども、それを見事に実現してくれた。(上尾に赴任して)9年間の中で、自分の監督としての考えを一番よく理解してくれて練習熱心な子で、兄もウチの1番打者だったんですけれども、その兄に憧れて入って来てくれたんだけれども、いいプレーをしてくれた」と称えていた。令和時代になって、大会での川越工との対戦にも、「自分は、古いタイプなので、感慨は一入(ひとしお)だった」と、古豪対決の感慨に浸りつつも、苦しみながらの勝利を喜んでいた。
埼玉県の教員としては定年退職して、その後再任用で継続して母校の監督を担っている熊澤監督。今後に関しては明解にはしなかったものの「そろそろ、後身にも譲っていかないといけませんからね」と語っていた。
いろんな意味で奥の深い、埼玉県高校野球の昭和の古豪対決だった。
(文=手束 仁)