「夏の登板がなければ優勝はなかった」本田峻也(東海大菅生)が掲げるエース像
練習、そして取材中も含めて印象に残っているのは、常に笑顔でいること。チームメイトと和やかな雰囲気で会話をしている姿からはとても想像しにくいが、マウンドに上がれば一変した投球を見せる。
インステップによる独特なフォームで他の投手以上に角度がついたボールは、最速143キロを計測。変化球もスプリットをはじめ多彩なボールを持っており、3月19日からの選抜では活躍が期待されている。そのサウスポーが、東海大菅生エース・本田 峻也だ。
今回はそんな本田選手へのインタビュー後編をお届けする。
前編はこちらから!
最速143キロ左腕・本田峻也(東海大菅生)はいかにして独特なフォームに身につけたのか
夏がなければ秋の優勝はなかった
本田 峻也(東海大菅生)
他の投手以上に負担がかかりやすいからこそ、トレーニングもケアの面も気を使っている本田。そのおかげもあってか、大きな怪我をせずにここまで高校野球に打ち込めているが、昨夏の独自大会では大会終盤の準々決勝・日大二戦で初登板となる。
3回から2番手で登板したが、4回に一時勝ち越しを許すなど本調子とはほど遠く、3イニングで降板。思うような結果を残せず、「ダメダメでした」と本田も準々決勝を振り返る。
ただチームは11対4で勝利を掴み、ベスト4進出が決まると、創価戦でも先発。その後、決勝、東西決戦と3試合すべてで先発という起用をされた。首脳陣からの期待の表れともいえる采配に本田は結果で応える。
創価戦では5回2失点、佼成学園戦は6回2失点。帝京戦も5回1失点という内容で、試合を作る投球が出来た。「あの3試合に登板できなければ、秋の優勝はなかったかもしれない」と本田は言うが、どういったことを意識したのか。
「日大二戦のような投球で先輩たちの夏が終わると思ったので、自分も最後の夏だと思って『負けたらどうしよう』や『試合を崩したらどうしよう』と思わずに、『ヒーローになるんだ』と思って投げました」
同級生・堀町 沖永も決勝戦後の取材で言っていた『ヒーロー思考』をもって大一番に挑み、先輩たちの夏を無敗で終えることが出来た。ただ、本田はまだ2年生。今度は選抜出場に向けて「自分が引っ張らないと負ける」という危機感をもって、秋へ準備を始めた。
エースとして1番の投手に
本田 峻也(東海大菅生)
多くの練習をこなしハードな夏休みとなったが、無事に乗り越えると、秋季大会ではエースとしてチームを牽引。ブロック予選から桜美林戦まで危なげなく勝ち上がる。準々決勝では日大二と再戦。8回1失点の内容だったが、本田は納得していなかった。
「日大二戦はホームランでリードしていたので、あのまま完封すればエースらしかったと思いますが、ピンチからバタついて失点。抑えないといけないところで打たれてしまいました」
関東一戦でも同様の展開となってしまったと反省。「打線に救われてばかりだった」と語るが、本田の言っていたエースらしいとはどんな投手像なのか。
「最少失点に抑えることはもちろんですが、負けている展開を作らない。勝っているもしくは引き分けの展開を作る。先取点を与えずに有利な試合展開にすることがエースだと思います。
特に東海大菅生のエースはこれまでにも良い投手が多くて伝統があります。だから1番を付けている以上、情けない投球はできないですし、周りのエースには負けられません」
2学年上の中村 晃太朗(現JFE東日本)は最も理想に近いと本田は語っており、「完投も連投も出来る。それで周りからも信頼されている」と先輩の良さを語っている。
冬場は球速アップはもちろん、回転を増やすために下半身強化とともにフォームの改善にも取り組んできた。そのなかで大きく変えたのは左腕の使い方だ。
「まずはきちんと肘を高く上げること。そして手の甲を体の方に向け続けて、腕を振るときは親指から振り下ろすようにしました。そうすることで捻る動作がない分、ケガのリスクは減らせますし、リリースの瞬間に中指をきっちりと立てた状態で投げられるので、スライダー回転になることなく、伸びのあるボールを投げ込めるようにしています」
様々な経験を積んだ本田は遂に甲子園に足を踏み入れる。「チームメイトだけではなく、他のチームからも一番と言われるような投手になりたいです」と意気込みを最後に残した本田。普段は笑顔が似合う人懐っこい雰囲気があるが、野球になれば真剣な眼差しで腕を振り続ける。選抜の舞台でどういった投球を見せてくれるか。楽しみにしたい。
(記事=田中 裕毅)