ピッチャーは4年ぶり!?草野球デビューを果たしたイチロー、きっかけは智弁和歌山?
マーリンズ時代に登板したイチロー
日本が世界に誇る安打製造機として、メジャーで活躍し続け、19年で積み重ねたヒットは3089安打。日本球界9年間で積み重ねた1278安打と合わせると、4367安打。とてつもない記録を残して2019年3月に現役を退いたイチローが1日、[stadium]ほっともっとフィールド神戸[/stadium]で草野球デビュー。友人たちと結成した神戸智弁の一員として智辯和歌山の教職員チームの和歌山智弁と対戦し、14対0で勝利した。
この一戦、実は昨年、智辯和歌山の秋季大会の試合を球場で見た際、スタンドの応援にイチローが感銘を受けたことで、交流を持ち始めたことがきっかけで実現。試合中は智弁和歌山の応援の代名詞・ジョックロックが流れるなど、高校野球さながらの雰囲気の中で行われた。
この試合、イチローは9番・ピッチャーで先発出場。『レイザービーム』と評された自慢の強肩を生かした送球で日米のファンを魅了した外野ではなく、マウンドに登ったイチロー。9回131球の完封という快投だったが、元々イチローは高校時代ピッチャーとして高校野球最後の1年間を戦っていた。
愛工大名電にいたイチローは高校2年生の夏の甲子園で、初戦の天理戦では3番・レフトで出場。初めての甲子園で、4打数1安打という結果。大きなインパクトを残すことが出来ず、チームも1対6で敗戦している。
それから最後の1年間は投打で柱となり、チームを牽引。秋季県大会では東邦や中部大一などを下して、優勝。その後の東海大会決勝戦へ進んだが、再び東邦と対戦して11対12で敗戦。しかし決勝戦まで勝ち進んだことで選抜出場の切符を掴んだ。
そしてエースとして挑んだ2度目の甲子園。イチローは長野代表・松商学園との試合で先発。初回に2点を失ったものの、粘りの投球で7回まで2対2の同点。しかし8回に勝ち越しの1点を奪われて2対3で敗戦。
ここでも勝利を挙げられなかったイチローは結局最後の夏も東邦に敗れて甲子園で勝利を挙げることなく、高校野球を終えた。
その後、イチローは三輪田勝利氏の目に留まり、野手としてドラフト4位指名でオリックス・ブルーウェーブに入団。外野手として1994年のプロ3年目でレギュラー奪取。そこからイチローの伝説は始まっていったのだ。
ちなみに、プロ入り後は1996年のオールスター第2戦、そして2015年のメジャー最終戦でピッチャーとしてマウンドに上がっているイチロー。今後はどんなことをしてくれるのか。
(記事=田中 裕毅)
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