目次

【目次】
[1]世界を見据えたイチローの高校時代
[2]イチローのプロへの第一歩の秘話

世界を見据えたイチローの高校時代

 高校野球は金属バットの導入後(1974年)、野球に変化が生じてきた。それとともに、勢力構図にも変化が表れるようになってきていた。金属バットの特徴をいち早く掴んで時代を席巻したのが池田だった。その池田に倣って、帝京もパワートレーニングを取り入れるようになり力を付けていった。1980年代となって、全国から有望な選手を獲得するルートを確立していたPL学園が圧倒的な力を示して、一時代を築くようになる。そのPL学園の質の高い野球に対して、どう戦っていくのかというのがこの時代の全国の有力校の大きなテーマにもなっていた。

 折しも、時代は63年続いた昭和から平成へと移っていった。90年代は平成の始まった時代でもあるのだ。世界では、前年に「ベルリンの壁」が崩壊し、東西に分裂していたドイツが統一された90年。世界ではラトビア、リトアニア、エストニアといった新たな国が、ソビエト連邦からの独立を宣言していた。

 そんな年に、高校時代から目標は甲子園出場ではなく、世界を見据えて野球をしていこうという考え方の高校球児が甲子園に姿を現している。愛工大名電の鈴木一朗だ。その後にプロ野球オリックスで活躍して、やがて、宣言通りに海を渡ってメジャーで活躍することになるイチロー選手である。
 イチローのいた愛工大名電は、イチローが2年生の時に2年ぶり4回目の夏の甲子園出場を果たしている。この時はエースが伊藤栄祐で後にドラフト5位指名を受けて近鉄入りしている。そして、鈴木一朗は3番左翼手兼控え投手として出場しているが、甲子園では初戦で天理に1対6と完敗する。鈴木は安打1本を放ってはいるものの、特に目立った存在という印象は残していなかった。

 愛工大名電を下した天理はエース南竜次(日本ハム)と1年生の谷口功一(巨人→近鉄)という、その後にプロ入りする二枚看板の好投手を擁しており、2回戦は35年ぶりに甲子園に出場してきた成田の猪股広に6回まで完全試合度抑え込まれていながらも9回裏に逆転サヨナラ勝ちの3対2。そして3回戦は仙台育英に6対0、準々決勝は丸亀に7対0と快勝を続ける。準決勝でも西日本短大附に9回二死からサヨナラ勝ち。決勝は沖縄勢悲願の初優勝を賭けた沖縄水産とだったが、天理は4回に犠飛でもぎ取った1点を南が守り切っての4年ぶり2回目の優勝。天理はセンバツ出場後に不祥事が発覚して監督交代などもあったのだが、そんなことを乗り越えての優勝だった。

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