「自分の手のようにグラブを動かしたい」イチローのニーズは全プレイヤーのニーズ 柳舘宗春さん
プロ野球をはじめ、高校野球など多くの年代層から人気のミズノプロ。2019年に30周年を迎え、1つの節目となったことを記念し、特別企画でミズノプロに携わったグラブ企画の担当者にインタビューし、当時の話やその時の思いについて語っていただいた。
今回は、久保田憲史執行役員、寺下正記次長の後を継いだ柳舘宗春さんにお話を伺った。
~ミズノプロ30周年・グローバルエリート10周年記念特集~
第1弾…3Dテクノロジーの先駆けとなったミズノプロ グラブが誕生するまで 久保田憲史執行役員
第2弾…3Dから4Dテクノロジーへ。進化を遂げたミズノプロ 寺下正記次長
第3弾…「自分の手のようにグラブを動かしたい」イチローのニーズは全プレイヤーのニーズ 柳舘宗春さん
第4弾…進化のカギは「旧シリーズを超えろ」。スピードドライブテクノロジー開発秘話 石塚裕昭さん
第5弾…野球界の進化に比例してミズノプロも進化を続ける 須藤竜史さん
第6弾…ミズノプロに並ぶ、2大ブランドとなる宿命を背負うグローバルエリート
ミズノ社内でも抜きん出るグラブ製作チーム
笑顔でインタビューに答える柳舘宗春さん
柳舘さんがグラブ企画に携わるようになったのは2006年から。企画担当に異動する前からグラブの仕入れの数を調整する部署に所属していたこともあり、前任の寺下正記さんと話をする機会は何度かあった。また波賀工場の方と企画担当者が話し合う姿も見ていた。
柳舘さんはその時の様子を振り返ると、「『こんなの出来るか!』と担当者と工場の人が言い争いをしているんです。けどそれはお互いに良いものを作りたいと思ってのことなので、『熱い人たちだなぁ』と感じていました」と少し笑顔をこぼしながら懐かしそうに語った。
そしてグラブ企画として本格的に始動すると、グラブチームの完成度の高さに驚かされたことを柳舘さんは話す。
「当時入社7年目の私がグラブの企画担当として3年間携われたのは、それまでの波賀工場の技術や実績などの積み重ねがあったからだと思っています。それくらいグラブの製作チームはミズノ社内でも抜きん出ていましたし、今の立場で見ても凄いと思っています」
出来ることはしっかりと完成させ、お客様が使用するうえで品質リスクがあることはしっかり回避する。そしてやりたいことに対してのアイディアも豊富に持ち合わせる。そんなグラブ製作チームのレベルの高さに、柳舘さんは凄さを感じている。
柳舘宗春さん
では柳舘さんは、波賀工場を含めたチームとどんなミズノプロを作ったかというと、2009年より販売スタートとなったバイオソウルテクノロジーである。
このグラブは『自分の手のようにグラブを動かしたい』というコンセプトの下、手の動きにグラブがついてこられるように力の伝わり方を計測。そのデータに基づいて、力がかかる部分には内側に充て革を張ることで力を伝えることを可能にした。
「爪があるからモノを掴めると同じように、力を伝えるときはその部分が硬くなければ伝えることができないです。そこでグラブの内側に剛性を出すようにしました」
しかし、コンセプトである『自分の手のようにグラブを動かしたい』というのは、ミズノのブランドアンバサダーであり、日本が世界に誇る守備の名手・イチローの言葉だったのだ。
理想を形にする精神がミズノプロを支える
笑顔を見せる柳舘宗春さん
「年に1回大阪本社にイチローさんが来てくれる時に『自分の手のように使いたい』とおっしゃっていたんです。イチローさんのニーズであれば、全野球選手に繋がると思いましたし、お客様にも伝わると考えたのでコンセプトにしました」
このニーズを実現するために、柳舘さんは工場の方と協力してグラブ企画をスタートさせた。
「私はお願いをするだけですが、工場やデータを集計する担当者は大変だったと思います。特に波賀工場の方とは量産でも品質が安定する設計について話ことが多かったです」
そこで言い争いをすることもあったが、互いにお客様に安全で理想を形にした良いものを1つでも多く届けたい一心があるからこそ。そのなかでどうやったら性能や品質の良いものを多く生産できるのか、そこのベストな方法を話し合って探し続けてきた。
またコスト面も柳舘さんは大事だと話す。
「クラフトマンシップに則って、ボールを捕るために最適な材料や型を価格帯やお客様に合わせてベストを見つける。そのなかでミズノプロは『自分の手のようにグラブを動かす』ことがコンセプトだったので、それに合わせて作っていきました」
『お客様が求めるものを届ける』という共通理念をもって取り組み続けてバイオソウルテクノロジーは完成。柳舘さんはこれをもってグラブ企画を離れ、違う部署へ異動した。
笑顔でポーズをとる柳舘宗春さん
そんな柳舘さんがかかわったミズノプロが2019年に30周年。今の立場になってミズノプロをどう見ているのか。柳舘さんに話を聞いた。
「環境問題などがあるので、天然皮革の調達が難しい。ですので、維持するのは大変だと思いますが、ミズノプロを求めるお客様に届けるのは責務だと思います。また、適正価格でプロ野球選手から子供までミズノのフラッグシップモデルとしてグラブを届け続けることで、野球を根付かせていく。それも責務だと思います」
当時は実際に波賀工場や製革工場へ足を運び、モノづくりの勉強を行った。「その時の自作グラブは変な形になり、実際に作るのは『大変だろう』と言われましたし、仕入れ担当の時には知らなかった多くの人たちがグラブに携わっていることを知りました。あの3年間は充実していて忘れられないです」
ミズノプロは歴史を背負った最高峰のグラブだというのは過去のインタビューから見えてきた。しかしNO.1だからこそ、道具という一面だけではなく野球界の未来を担う大事なモノなのである。そのことを知ることが出来た。
同時に、ミズノの社内で脈々と受け継がれるお客様の理想を形にするクラフトマンシップの精神がミズノプロを支えている。この心構えが印象に残った。
(記事=田中 裕毅)
~ミズノプロ30周年・グローバルエリート10周年記念特集~
第1弾…3Dテクノロジーの先駆けとなったミズノプロ グラブが誕生するまで 久保田憲史執行役員
第2弾…3Dから4Dテクノロジーへ。進化を遂げたミズノプロ 寺下正記次長
第3弾…「自分の手のようにグラブを動かしたい」イチローのニーズは全プレイヤーのニーズ 柳館宗春さん
第4弾…進化のカギは「旧シリーズを超えろ」。スピードドライブテクノロジー開発秘話 石塚裕昭さん
第5弾…野球界の進化に比例してミズノプロも進化を続ける 須藤竜史さん
第6弾…ミズノプロに並ぶ、2大ブランドとなる宿命を背負うグローバルエリート