ホセ・ロペス(横浜DeNAベイスターズ) 「知られざるベネズエラ時代の歩み」【前編】
ある法則にあてはまるロペスの日本での活躍
バットを担ぐホセ・ロペス選手(横浜DeNAベイスターズ)
DeNAの3番・一塁手、ホセ・ロペスのような選手を〝大器晩成″と言うのだろう。巨人に入団した2013年は打率.303(安打130)、本塁打18、打点55と及第点だったが、2年目に成績が急降下(シーズン成績は打率.243)。このタイミングでキューバの主砲、セペダが14年5月に入団し、さらに新人の小林が先発マスクをかぶることが多くなると、それまでのレギュラー捕手・阿部慎之助が一塁に回り、ロペスの存在感は徐々に薄くなっていった。
外国人選手は1年目から好成績を挙げると思われているが、〝史上最強の助っ人″と言われるバース(元阪神)は1、2年目タイトルに手が届かず(3、4年目に連続三冠王)、オリックス2年目に三冠王に輝いたブーマーは1年目、打率.304(安打137)、本塁打17、打点62と平凡だった。昨年のリーグMVP、サファテが本格化したのも広島(2年在籍)、西武(1年在籍)に次いで3球団目になるソフトバンクに入団してからで、球史に残る外国人選手が日本野球のスタート時、予想外の苦戦を強いられているのがわかる。
「優良な外国人選手が力を発揮するのは2、3年目」という法則がロペスにも当てはまる。2015年にDeNAに移籍すると3年連続して25本塁打以上を記録し、17年には最多安打(171安打)、打点王(105打点)に輝き、ベストナインとゴールデングラブも受賞している。
ロペスはMLBでも活躍している。17歳だった2000年にシアトル・マリナーズに入団。04年にメジャーに昇格し、06年から10年まで連続して100安打以上を記録、09年にはミゲル・カブレラ(タイガース)らとともにベネズエラ代表としてWBC(ワールドベースボールクラシック)に出場、優秀選手賞に選出されている。MLB実働9年間で通算1005安打(打率.262)は来日した外国人選手の中でもトップクラスの成績である。
ベネズエラ生まれのロペスがどのような環境で野球人生をスタートさせたのかも興味がある。
[page_break: 知られざるベネズエラ時代の歩み]
知られざるベネズエラ時代の歩み
バットを担ぐホセ・ロペス選手(横浜DeNAベイスターズ)
―― ロペスさんはベネズエラの高校時代、どんなことを教えられていたんですか。
ロペス 僕自身は9歳から野球を始めたんですけれども、学校では部活動みたいなものはやっていなかったので、自分が住んでいた地区の野球チームに入って野球をしました。
―― 高校野球はなかったんですか
ロペス 前はなかったんですけれども、最近はやるようになったみたいですね。高校というよりは専門学校というかメジャーのアカデミー学校とか地区の学校とか。
―― 地区でやっているアカデミーとメジャーリーグがやっているアカデミーと両方あるんですか。
ロペス 前はメジャーリーグのアカデミーが多かったんですけれども、今はどちらかというと私立というか個人で、ベネズエラ出身で野球を引退された方が作ったアカデミーがあるみたいです。
―― ロペスさんはそちらのほうでやっていたんですか。
ロペス 僕の場合はまだアカデミーがあまりなかった時代だったので、自分が生まれた地区の野球チームに入っていました。
―― そこで教えられたことで一番ためになったことはどんなことですか。
ロペス 最初はグローブの使い方からです。右利きなのに右用のグローブを右手につけてしまっていた。まずはそこから始まりました。
―― どんなバッターだったんですか。
ロペス 最初はなかなかボールに当てることができなかったので、しっかりとボールを見てコンタクトするというのを教わりました。
―― 高校を卒業されてすぐマリナーズに入られたんですけれども、それはやっぱりある程度素質が認められたわけですよね
ロペス 最初はサッカーのほうが好きだったんですけれども、野球をずっと続けていて、14歳か15歳ぐらいのときにスカウトから声をかけていただいて名刺をもらったりして、それで野球を頑張ってみようということで、運よく16歳と半年のときにマリナーズの契約をもらいました。
―― 最初からバッターでということですか
ロペス ピッチャーとしても見られていたんですけれども、自分はショートでプレーするのが好きだったので。バッティングも好きでしたし。それで自分で野手としてというふうに決めました。
次回はメジャーリーグ時代のエピソードとホームランを打つためにロペス選手がこだわっていることを聞きました。
文=小関 順二