小玉 佳吾(東海大菅生)「自分が打って、抑えて、東海大菅生の名を轟かせたい」
今年の西東京は清宮 幸太郎(早稲田実業)、櫻井 周斗(日大三)と全国クラスの逸材が揃った年だが、その中で、この2人に並ぶ逸材がいる。その名は小玉 佳吾。投げたは常時140キロ、打っては高校通算14本塁打の長打力、守っては難しい二塁守備を巧みにこなし、走っても50メートル6秒1と万能型の選手だ。
そんな小玉の歩みを振り返りつつ、小玉がこの夏、成し遂げたいこととは…。
投手転向は意外なきっかけから
小玉佳吾(東海大菅生)
小玉が東海大菅生に入学したきっかけは、秦野シニア時代のこと。東海大菅生から誘いもあったが、また中学3年生の時に、西東京大会を見に行って、「良いチームだと感じましたし、応援の雰囲気も気に入りました」と感じた小玉は東海大菅生入学を決意。親元を離れ、寮生活となったが、「同級生も寮生が多いですし、すぐに仲良くなりました」とすぐに溶け込んだ。
入学当初はサード。新チームが始まってもサードだったが、打撃面で不調に陥り、若林監督から「お前、肩強いから投手やれ」と投手転向を告げられる。「あの時は全く打てなかったですし、夏休みは連戦が多いので、ちょうど少しだけ経験がある僕に回ってきたんですよね」
実際にやってみると嵌った。あまり経験はなかったがいきなり136キロを計測。そして若林監督は小玉の球質の良さを評価した。
「球速表示以上のストレートを投げられるところに筋の良さを実感しました」
若林監督からの指導にも熱が入る。それまでただ思い切りよく投げるだけ、投球動作について深く意識したことがなかった小玉だが、「若林先生から高い角度から低い位置へ投げることで、打者から角度を感じて打ちにくく感じると教えてくれまして、それからは腕の位置を上げたり、腰の横回転の開きを抑えるようにしました」
この感覚をつかんだのは2年春。冬場にウエイトトレーニング、体幹トレーニング、走り込みを積み重ねたことで、2年春には最速142キロを計測。春季大会では登板を重ね、自信をつけていった。しかし打撃は思うようにはいかなかった。若林監督によると2年の春先のオープン戦では打撃好調。ときにはクリーンアップを打つこともあったが、不調から打順も下がり、下位を打つようになってしまった。その原因について小玉は実力不足と体力不足があった振り返る
ヒーロー思考で勝負強い自分を見せる
小玉佳吾(東海大菅生)
「技術が低いのはもちろんですが、昨夏は夏バテをしてしまいまして、調子を崩していましたね。自分の技術をコンスタントに出すためにはコンディショニング面でどうすればいいのか、その考えがまだまだでした」
2年秋、新チームがスタートして小玉は体調管理が大事だと考え、練習後、夜30分間、ストレッチを取るように、ごはんの量を増やした。同時に主将に就任。小玉にとって人生初の主将経験。どう引っ張っていいか悩んだが、それでも懸命にチームをまとめる姿に、多くの選手に主将・小玉について聞くと、「最初は驚きましたけど、実際新チームが始まると、小玉は主将に相応しい働きをしています」とナインも信頼していた。
背番号1として臨んだ2年秋は、秋季東京大会3回戦で、関東一戦に敗れ、選抜を逃す。
「自分がエラーしてしまい、それが敗因となってしまったんですけど、あたふたしてしまった」と悔やんだ。
2年冬は、体をもう一回り大きくしたい思いで、トレーニングに打ち込み、78キロから83キロまで増やした。スクワットは170キロとチームトップクラスの重量を持ち上げ、そして50メートルも、6秒3から6秒1まで速くなった。
こうして、選手としてワンランクレベルアップした小玉。春は投打でチームを引っ張る。小玉にとって夏へ向けて課題が残った試合が東京大会4回戦の日大三戦。自信になったのは、投手として。自慢の速球はコンスタントに140キロ台を計時。金成 麗生、櫻井 周斗を抑えたことは、小玉にとっても大きな自信となった。しかしチャンスで二度凡退。「チャンスで打てなかったことが悔いに残っています。今度は勝負強い自分になって夏に臨みたい」と話した小玉。
春季大会後、勝負強くなるために行っているのはヒーロー思考を持つこと。「ここで打ったら自分がヒーロー」と前向きな心境で打席に入るようになった。「まだうまくいっていない」と話す小玉だが、6月では重要な場面で本塁打を打ったりするなど、勝負強さを少しずつ発揮している。
そして最後の夏へ向けての意気込みを語ってもらった。
「3年連続で準優勝に終わっている悔しさがありますので、絶対にこの夏は、日大三、早稲田実業に勝って甲子園に行きたいです。そこで東海大菅生の名を全国に轟かせたい。そのために勝負強い自分を出すことができればと思います」
打っては主軸、投げては140キロと、才能に恵まれた小玉。あとは自分の能力をグラウンドで表現することができれば、17年ぶりの夏の甲子園出場は見えてくる。
(インタビュー/文・河嶋 宗一)