仙台育英学園高等学校(宮城)
2012、13年と2年連続で甲子園に出場。現3年生を中心としたチームも秋、春と県大会で優勝しており、優勝候補に挙げられていた。ところが、今夏は4回戦で東北学院に延長13回の末、3対4で敗れた。仙台育英の4回戦敗退は、なんと2002年以来、12年ぶりのこと。あまりに早い、夏の終わりだった。
しかし、前チームのゲームセットは、新チームのプレーボール。敗戦の翌日から3日間、グラウンドやその周辺の環境整備からスタートし、新しい役割も決まった。夏休みは練習試合を重ねている。今秋、そして、来夏へ。名門・仙台育英の新たな挑戦が始まっている。
4回戦で涙を飲んだ2014年夏
試合中の佐藤 世那投手(2年)
東北学院戦の延長13回表、仙台育英バッテリーは、一死無走者で5番・浅野 太祐(2年)を迎えていた。カウントが3−2となり、ここから3球、直球を続けた。
「四球になるのが怖かった」と、言うのは、8回からマスクを被った郡司 裕也(2年)。「四球は出せないと思った」と、言うのは、8回から登板した佐藤 世那(2年)。バッテリーの思いは同じだった。
「フォークという選択肢もありましたが、四球となると、流れが向こうに行くと思った」と郡司。
サインは内角直球。佐藤世は「インコースを攻めて、ボールだったら仕方がない」と腹をくくって投じた。
打球はグングン伸びて、ライトポール際への勝ち越しソロ。
「(浅野に)インコースをあそこまで持っていく力があるとは思っていませんでした。見逃すか、当たっても詰まるだろうと思ったのですが…」(佐藤世)
「切れろ、切れろって思ったんですが、まさかのホームラン。タイムをとって、世那のところに行ったんですが、いつもの世那じゃなかったんです。『裏の攻撃があるから』とか、声をかけても応答がなくて。一球の重みを知りました」(郡司)
その裏、仙台育英の攻撃はゼロに終わり、ゲームセットとなった。
「まさか、です。甲子園には行けるものだと思っていました。でも、そこが甘さでした。負けた時は実感がなく、夢を見ているようでした」
1年春から公式戦を経験し、その秋からはショートのレギュラーとなり、東北学院戦もスタメン出場していた平沢 大河(2年)はこう振り返る。
チャンスで1本を打てず、先頭で出塁してもホームに帰れず。12回裏にはライトポールの上を抜ける打球を放ったが、ファウルとなった。
「油断したわけではないですが…やっぱり、試合は何が起こるか分からないということを実感しました」(平沢)
仙台育英にある「三大目標」とは
佐々木順一朗監督
部が解散するまでは「どうやったら勝てるのか」ばかり考えていたという。それは当然のことだ。それが、2004年に活動を再開すると、過去の方針を180度転換した。勝利を目指さない、というわけではなく、勝利を目標にはしないというニュアンスが妥当か。
仙台育英の室内練習場には「三大目標」が掲げられている。
一、 いい親父になる
二、 ウェルカム「仙台育英ディズニーランド構想」
三、 飛脚プロジェクト
〈全員で達成しようとした時、奇跡が起こる〉
「将来、父親になった時、子どもの問題で逃げ回る親になってほしくない」という佐々木監督の願いが「いい親父になる」。
「何か起こった時、子どもと一緒になって考えられる親になってほしい。子どももいつか高校生になる。そんな時、いろんなことを経験した親で、語り合える親になってほしいなと思っています」(佐々木監督)。
仙台育英野球部が目指すもの
練習中、ハイタッチを交わす選手
高校時代に苦しいことから逃げず、乗り越えた経験や3年間、頑張り抜いた経験は将来、胸を張れるだろう。例えば、走ることや勉強など、苦手なことを乗り越えた経験はやがて自信になる。将来、子どもが逃げそうになった時、自分が立ち向かっていれば、話に説得力が出る。
「ディズニーランド構想」は、ディズニーランドのキャストのように、とことん、気の利いた集団にしたいという願いがある。仙台育英野球部を訪れた人の気分がいい。また来たいと思う。
そのためには、部員の立ち振る舞いがカギを握る。
「人に対して気の利いたやり取りができるようになれば、試合や練習でも気の利いたプレーができるようになる」と佐々木監督。人が何を求めているのか。そのために、自分は何をすべきか。想像力を働かせることは、ゲームの中でも大切なことだ。それを練習や試合の時だけでなく、普段から“訓練”することでいざという時に活きてくる。
「飛脚プロジェクト」は、グラウンド内をダラダラ歩かないことは野球界の“暗黙のルール”のようなところがある。そういう時、おそらく、多くのチームで「ダラダラするな」とか「走れ」という声が飛んでいるだろう。それをここでは「飛脚プロジェクト」と名付け、ダラダラとした行動がないようにしている。
掲げられている、この3つの目標に野球の試合での勝利を連想させるものはない。これが仙台育英の今のスタイル。正解もハズレもない。勝利をひたすら追い求めていた時、部が解散するまでに至った出来事が、こうしたスタイルの確立になっている。
部の再開後、再び、甲子園常連校となった。2012年秋には、岐阜国体で優勝(大阪桐蔭と両校優勝)し、直後の明治神宮大会で日本一になっている。
[page_break:新体制はすべて立候補で決定]新体制はすべて立候補で決定
左から、副主将の平沢大河、主将の佐々木柊野、副主将の郡司裕也
「B班が変わらないと、チームの底上げになりません。B班がメンバーを甲子園に連れて行くという気持ちでやっていければいいなと思いました」(平林)
「去年から先生(佐々木監督)には『B班が強いところは、A班も強い』と言われていて、B班をまとめる役割をやってみたいと思いました。人数が多いので、どうしても、A班とB班に分かれてしまいますが、そんな中でも、B班の人たちにB班でも良かったと思ってもらえるようにしたいと思ったんです」(佐藤康)
2人とも小学校、中学校とキャプテン経験はない。それでも、リーダーになる決意をした。一緒にご飯を食べに行っては、「あいつは大丈夫か」「最近、あいつ頑張っているよな」と、B班のメンバーのことを相談する。
どうすれば、B班が円滑に活動できるか。モチベーションを高めるためにはどうするか。
日々、話し合っているという2人は、「この秋は東北大会で優勝して、明治神宮大会に行って、センバツ大会に行けるようにチームの底上げを目指します。自分たちがB班の見本になって、A班とB班の懸け橋になれるようにやっていきたい」と声をそろえる。
キャプテン、副キャプテン、B班のキャプテンなど、主要な役割に多数の部員が自ら手を挙げた。二度と悔しい思いをしたくない気持ちの表れなのか、チーム作りに積極的な姿勢が見られ、グラウンドマネージャー(GM)の本田 雄太(2年)は「前のチームベンチ入りしていた人が、チームの主となる部分に立候補してくれたので助かりました」と振り返る。
本田が担うGMが、仙台育英ではキーとなるポジションだ。仙台育英では、選手が主体となって練習が進められる。GMはその練習をまわし、監督と選手の間をつないだり、練習でノックを打ったりする。公式戦のシートノックも担う。
仙台育英では、マネージャーは、接客などを行うクラブマネージャー(CM)と2つ分けられている。このCM決めは難航したが、最終的に加藤 大地が「チームが勝って、みんなで甲子園に行けるのなら」と立候補。川上 玲も「グラウンドにいるより、CMの方がチームに貢献できると思う。甲子園に連れて行ってください」と言って、2人のCMが決まった。こうして、チームの柱となる部分の体勢が整った。
[page_break:佐々木監督「底知れぬ可能性を感じる」]佐々木監督「底知れぬ可能性を感じる」
笑顔の仙台育英ナイン
3日間の環境整備後、紅白戦もあり、夏休みに入ってからは連日、練習試合が行われている。その理由を佐々木監督は、
「試合経験のない選手たちですから、対外試合を通して、いろんな経験をさせた方がいい。練習は冬にじっくりやればいいですから」と説明する。
そして、練習試合とはいえ、ほとんど負けはない。
そんな新チームの特徴は攻撃力。大型の選手が多く、選手たちは「パワーはある」と自信を見せている。佐々木監督も「体格がいいので、本物になっていったら面白いチームになると思います。底知れぬ可能性を感じている」と手応えを感じている様子だ。
それでも、よほど夏の敗戦が効いているのか、「試合に勝ち続け、打ててもいますが、いつ、打てなくなるのか。いつ、落とし穴が待っているのか。そういう不安はあります。勝ったり、打ったりしていい気になっていると、同じことを繰り返してしまうかもしれません。あの負けを教訓にしないといけません」と郡司。同じ失敗を繰り返さないためにも、常に足元を見つめることを忘れてはいない。
攻撃力がある分、課題は守備力と走塁の判断力だと言う。特に外野の守備で、「ボールが手に着かないことがあったり、一歩目が遅かったりすることが課題です」と佐々木柊が言えば、本田も「球際の弱さがある」。ハンドリングや打球勘を磨いていく必要があるが、そういった課題が見えているだけでも違う。
今年の東北大会は宮城県開催。来春のセンバツ大会を見据え、もちろん、頂点を狙っている。
「去年のチームで、秋、春と東北大会で優勝できませんでした。まずは前のチームを越せるように頑張りたいです。そして、どんな相手でも変わらず、自分たちの野球をやりたいです。油断をしないことですね。先生(佐々木監督)にもよく言われますが、謙虚にやっていきたいです」(佐々木柊)
「当たり前のことを当たり前にできるようにやっていきたいと思っています。東北大会、明治神宮大会で優勝して甲子園に行き、前の代が悔しい思いをしているので、その借りを返したいと思っています。目の前の敵に100%の力をぶつけていければなと。あと、1年生が甲子園に行ったことがないので、センバツ大会に1年生を連れて行きたいです」(本田)
中心となる2年生は当初、まとまりが悪く、「人の悪いところしか探せなかった」そうだ。
それでも、佐々木監督から「人のいいところを探す方が難しい」という話をされ、人のいいところ探しを始めた。すると、トゲトゲしかった学年の雰囲気が徐々に変化。今では、みんなが「仲がいい」と口をそろえる学年になった。
役割を決める時は積極的に立候補し、チームのためを思って役割に就いた部員もいる。そして、先輩の負けを無駄にしないよう、7・15の教訓を胸に刻んで日々、練習に励んでいる。センバツ大会を見据えつつ、来年は長い夏になるように――。
(文・高橋 昌江)